人狼がクソゲーである最大の理由 (コムドット顔真似ゲーム)
これはもう万人に知れ渡った事実だろう。
運と論理をしっちゃかめっちゃかにかき混ぜた結果、ゲーム性というものは万人の見解の中で細切れに吹き飛んでしまっている。
そして文句のたれあいと足の引っ張り合いがおき、最後には『リア狂』という単語が飛び交うようになるクソゲーである。
役職の狂人や人狼を疑っているうちはどんなにいがみ合っていてもいい。
「誰々はプレイヤーとして間違っている」「誰それはルールを理解していない」
この程度ならまだましだ。
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
コムドットがここまで来るのだ。
本当にここまでコムドットが来る。
そりゃこうならずに平和に推理ごっこをして論理的に答えにたどり着くことはある。
前置きここまで
その原因はある1つに集約される
嘘つきゲームだと思われすぎて意味なくウソを付くやつがいるから? NO!NO!NO!
勝利と敗北の真っ二つだから? そうだそれもある
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
「無能な味方は射殺しろ」とは古事記にも書かれているブッダの教えだがまさにそれが起きるのだ。
味方が無能でなければ勝っていたという戦いは非常に辛い。
相手をしている側も敵チームにまぎれていた無能がゲームを破壊したから勝ったというのは釈然としない。
勝利という結果は目的ではない。
たまに「ゲームの勝ち負けに熱くなってる~~」と言う人間がいるが、違うのだ。
多くのガチ勢は「ゲームを真剣にプレイすること」に熱くなっているのだ。
勝利ではなく求めているのは過程だ。
いいゲームがしたい。
楽しめるゲームがしたいのだ。
ただ楽しみたいのだ。
勝利は目的ではない。
だが悲劇は起きる。
ちょっとしたミスで危ういバランスの上に成り立っていたゲームは崩壊する。
そして何が厄介って一見するとミスをせずにプレイするのは凄い簡単に思えてしむことだ。
それは1人プレイのゲームなら、目を光らせた上級者と本人だけが気付いて胸の中で「ドンマイ」と言うだけで済むようなものだったろう。
しかしチーム同士がお互いの言葉の尻尾をつかみ合うゲームでのちょっとしたミスは大きな混乱を引き起こす。
ただハトと言い間違えて「カラスは白い」と言ってしまった程度の事がてんやわんやの大騒動を引き起こすのだ。
ドミニオンでアクションカードを切る前に貨幣を出してしまったらどうなるだろうか?メンゴメンゴでやり直せるかも知れないし単に1人のプレイヤーが一手損するだけかも知れない。
だが人狼は違う。
全てのプレイヤーが混沌の渦の中に叩きこまれ「おっと間違えた」で時間を戻すことは出来ないのだ。
そうして全体のゲームを壊した責任を1人のプレイヤーが取る羽目になる。
何故こうなってしまうのか。
これは他のチームプレイの遊びでも同じことは言える。
確かに言える。
だが人狼は「お互いが危ういバランスの上で協力する」という徹底した前提が有る。
そしてプレイヤー達の順位が「チームの勝利」と「チームの敗北」しかない。
他のパーティーゲーム、例えばニムトとかなら「あちゃーあと3点だったのになー」「まあビリは回避できたわ」と頑張ったプレイヤーはそれぞれに強がりが言える。
だが人狼は違う。
最後の二択までいって始めてそれが許される。
その前の段階で誰かの致命的なミスでチームやゲームが崩壊したらもう全てがおしまいだ。
下手したら勝利チームは存在するが意味不明だから全員敗北ともなりかねない。
そうなのだ。
個人戦でないがゆえに、二位や三位になるものはおらず、時には勝利者すらいなくなってしまうのだ。
ゲーム終了時に吐く言葉として「惜しかった」すら許されず「クソゲー。◯◯最低だわ」とはっきり口にだすかオブラートに包むかそれとも無言を貫くかしかないのだ。
実にクソである。