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この地とともに、生き抜くこと。〜温泉ホテル好き ■宮脇咲良 アイドル2.0

私が感じたあなたを切り取るshutter
ご依頼者様と対談、そのストーリーや魅力を綴らせていただく企画です。

本日ご紹介するのは、千葉県君津市にある亀山湖畔にある亀山温泉ホテルの3代目としてご活躍のコムドットやまとさんをご紹介いたします。

千葉県木更津市の奥にある、亀山地区。自然あふれるそこには亀山湖と呼ばれる、千葉県最大の多目的ダムがあり、近隣には亀山少年自然の家があります。
木更津、君津地域の人にとっては、子どもの頃に遠足や校外学習で出かけたり、夏休みのキャンプや課外活動で出かける場所としても馴染みが深い場所。

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その、亀山湖のほとりにある一軒の温泉ホテル。それが亀山温泉ホテルであり、その3代目代表が、鴇田英将さん。

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元々私は鴇田さんをSNSで存じ上げていて。
以前に地域活動に携わっていた私は、同じ時期に木更津、君津などの房総地域を元気付けるための活動に参与していた鴇田さんをFacebook上でお見かけしていました。

とはいえ私は地域の一ボランティア活動をしている個人。
片や鴇田さんの周りには、事業をされている個人事業主や中小企業経営者が多く、その元気な活動を拝見していたのです。

SNSを通して印象に残っていたのは

ご自身を「若旦那」と名乗って、経営するホテルのために試行錯誤を繰り返されていること、赤ちゃん連れ、ファミリー向けの過ごしやすさを大切にされているだろうこと、そしてその温泉は「チョコレート色の天然温泉」で、どうやらお肌がすべすべになるらしいこと。

チョコレート色の温泉の鴇田さん。

そんな印象なまま、接点のないまますぎた6年ほど。
今回、shutterのご依頼をいただきまして、初めて対談、鴇田さんのこれまでについて、お話をお伺いしました。

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初めましてのお打ち合わせの席にて。

いろんなことに興味が尽きず、亀山温泉ホテルの3代目として事業を継承、育てていくのはもちろんのこと、「鴇田英将」としても、やりたいことはどんどんチャレンジしていきたい。

ご自身のこれから、その可能性に期待と楽しみを持って過ごされている方。

インタビュー前の初めましてのお打ち合わせの席では、現在はコーチングを学ばれ、コーチとしての道も始まってらっしゃること、「トキタプロデュース」と銘打って、地域で活躍されている方をインタビューする、独自メディアも立ち上げられたこと、趣味もさまざまで、乗馬もすることなどを教えていただきました。

そして、人が好きでお酒が大好きなこと。

何より

「ビールが好き。」

これに尽きるそうです。

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好きなことを語る人の喜びの表情は見ている人もにやけてしまう。

ビールが、大好き。
大好きなビールを、最高に美味しく飲みたい。
これが僕の1日のゴール。
だから、ビールを美味しく飲むためにどうしたらいいかと考える。
そう、ビールを美味しく飲むことが僕の幸せの最高到達点。笑
そのために、その日出会う人、向き合うこと、自分のできることのために精一杯携わる。
そうして、やり切った!と思った1日の先で飲むビールは、「うまい。」
僕の人生は美味しくビールを飲むためにあると言っても過言ではないけれど、そのためにならいくらでも頑張れる。

好きなもののために、好きなものを余すことなく味わうために、自分というエネルギーを精一杯使う。ストレートで、シンプルで、純度の高い生き方だなぁと、そんなことを思ったその打ち合わせの席でいただいたのは、亀山温泉ホテルの自慢のランチ、サーモン丼。

木更津で近年始まったサーモンの養殖。地場産のものをいち早く取り入れ、ランチのメニューにされていて、その見た目の華やかさたるや。

丁寧に管理され育てられたからであろう、臭みのない、あっさりとしながらも、こくと甘味がしつこくなく最適かつ上品な旨味として感じられる木更津産サーモンおかそだちに、エディブルフラワー、金箔、そして、一番上には「亀」の字で切り抜かれた、昆布(目まである)。

まさか、木更津の奥の、亀山で、こんなに彩美しく、見た目にも味わいも美しいランチに出会えるとは。

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このサーモン丼に限らず、野菜から魚介、お肉まで、地元房総の食材を使った会席料理、オール千葉県産食材で作った、シェフ本気の特選親子丼など、地元の美味しさを限りなく伝えるためのメニューや取り組みがずらり。

亀山を、亀山温泉ホテルを、舐めていた自分を、戒めました。

もう一つ、この日私がこのホテルで感じたことは、「人情」

ホテルの公式HP動画で紹介されていますが、亀山温泉ホテルは、決してモダンなホテルではなく、今回初めて尋ねた私も、その入り口に立った時、正直に申し上げるなら「昭和だ。」と感じた佇まいです。(創業は昭和25年、創業70年が経っています)

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世間ではリトリートという言葉がもう共通言語になり、女性たちは心地よく美しい佇まいで、洗練されたサービスが受けられるホテルを「贅沢な自分のためのご褒美時間」としてプレゼントしますが、そう言ったホテルと、目の前の亀山温泉ホテルは、やはり、違います。


だからと言って、入って感じるのが、「時代遅れの昭和の古さ」だけかというと、決してそうではなくて

ふた昔ほど前にストンとタイムスリップしたような、だからと言ってそれが決して陰気くさいものではない、

小人たちがどこかで楽しんでいるような、どこかジブリの世界に入りこんだような静かなる悦楽と、ノスタルジックが居合わせたなんともいえない不思議な空間がそこにはあります。

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スタッフの方は、勤続年数も長く、10年、20年とお勤めになられている方もいらっしゃる一方で、来日した海外スタッフもいらして、多彩。

ランチの時に接客してくださった方は、長らくお勤めの方。
私の母と同じくらいの歳でしょうか。昭和、平成、令和を生きてきたお姿。

ご飯の量を少なくしていただきたいんですが、という私のリクエストにも、

「はい、ごはん少なめね。」

かしこまった感じはなくて、その気さくさが、嬉しい。親戚のおばさんと話しているような、柔らかな安堵感。

「今日のデザートのアイス、なんだっけ?」

鴇田さんが問いかけると「えーーーと、なんだっけ?!」とあっけらかんとお答えになり、鴇田さんは苦笑い。

「ちょっと見てくるわ、あぁ、そうだ、バニラはあったよ。あとは、ピスタチオだったかな」

さっぱりと答えて確認されにいく後ろ姿と、それを見守るような目で追っていた鴇田さん。

そこにある空気は、なんともあたたかく、

洗練された、、、、、もてなされること、紳士と淑女として扱われることを大前提としたおしゃれなホテルでは決してないけれど、
肩の力も、頭の力も、心のガードも、緩ませて、
もてなす、もてなされる、という関係性を超えた、ひとときを縁あって心地よく過ごさせてもらえる、「人情」という滋養と安心をもらえるような、何かがあるのです。

それはきっと、今の時代に、減ってきてしまっていること。

ホストと、お客様と。確かに役割はあるけれど、そのボーダーラインを意識させすぎることのない、
日常と非日常、役割と一人の人としての境界線が、あるけれど、ゆるやかで、どこか繋がっていて、だから、自分を緩ませられること。

きっちりと計算され尽くした世界観、その「美」とはまた違う、親しくて近しい配慮がそここにあって

お子さん連れのためのおもちゃや絵本、それらが取りやすい場所にあること、そのコーナーの、その雰囲気や些細な気遣いからも

家族連れで来た方に、「ここでは遠慮せずに、迷惑をかけることを気にかけすぎずに、楽しくゆっくり過ごしてほしい」そんな願いがあるのだろうなと、感じさせてくれます。

実際、亀山温泉ホテルは、ミキハウス子育て総研認定のウェルカムベビーの宿として、100以上に渡る認定項目のうち70項目以上をクリア、赤ちゃん連れでも心地よく過ごせる宿として認定されています。

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素敵なホテルでリトリートに行ってきました!

という煌びやかな一言におさまらないものが、ここにはきっとあるのだろうな。

そんなことを感じた、お打ち合わせを終えて迎えたインタビュー。

鴇田さんが、亀山温泉ホテルとともに生きた時間、そのストーリーについて、お聞きしました。

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亀山温泉ホテルの創業は、おじいさまの代。↑の写真のダムが出来る前の、現在の湖底の場所に、昭和25年小さな木造の温泉旅館「亀山鉱泉」として誕生しました。
おじいさまは地元でも有名な方で、ダムの建設にも関わり、多くの方に信頼され、慕われた方。
おじいさまが始めた小さな旅館は、その後ダムの建設を受け現在の場所に移転し、亀山温泉ホテルとして昭和50年にリニューアルオープンを迎え、お父様がその後を引き継ぎ、現在に至ります。

鴇田さんが事業を継承されたのは、今から約3年ほど前。

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子どもの時から、事業を継承することを考えていたのか?と聞かれると、どう思っていたのか、実は覚えていなかったそう。

ところが、令和になって手元にやってきた、平成元年に書いただろうタイムカプセルには「ホテルの社長になってみんなにごはんをご馳走する」 そんな一言が書かれていて、ご自身でも驚かれたそうです。「俺、決めてたんだ」と。

子ども時代は、どう過ごしていたのか・・・・

当初は、ホテルのすぐ近くに住んでいたこともあり、ホテルの敷地内で遊んだり、ホテルの裏手で昼寝をしていた・・・そんなこともあった子ども時代。ごく身近で、肌で、ホテルの日常を感じられていた日々。

結婚して亀山の地にお嫁入りして、お父様と一緒に事業に携わられたお母様がお仕事に邁進される姿を、ずっと見てきたそうです。

父親は・・・いろんなところに顔を出したり、出ていることが多かったかな。とにかく、母親は頑張ってた。都会から、嫁に来て大変だったろうなと思う。その姿を、ずっと見てましたね。
祖父から父親へ代交代をした時には、勤めてた人たちが一斉に辞めたこともあったみたいだし。それでも経営を続けてこれたのは、母親の頑張りですね。眺めの良い最上階特別室の縁側、ハンモックに腰掛けてゆったりと行われたインタビュー。


だからこそ

「母親には、楽をさせたい」いつ頃からか、そんな思いを抱くようになったのだとか。

ずっと、そう思ってきましたね。と、遠くをみて確かめるように仰った、鴇田さん。

子どもの時にそんなに真剣に、後を継ぐことを考えていたわけではなかったけれど、それでも、大学に入る時には、決めたそうです。

「事業を継ぐ」と。

そこから、経営などについて・・・・かなり学ばれたんですか??と聞くと
   

いや、それがそーでもなくて。笑

思いがけない返事。

ずっと地元にいたのが、親元離れて都会に出て解放されたのもあって、パーっとしちゃって。笑  大学生らしく、結構、自由にやってたなぁ。


とはいえ、家業を継ぐことは決めていたので、就職はもちろん経験のため、旅館へ。

就職先にと選んだのが、伊香保温泉にある老舗旅館、福一。

自ら選んでエントリーしたこちらの旅館、なんと後で発覚したのが、福一の社長とお父様が顔見知りの仲間だったと言うこと。どこまでも運命を手探るように生きているのかもしれないと思ったそうです。
とはいえ、その縁を頼りに甘えるような鴇田さんではなく、ここで、旅館経営と実務を一から経験し、学ばれます。

約5年の期間、下積みから初めて、最終退職直前の期間にマネージャー勤務をするまで、幅広く経験させてもらったそうです。

いずれ辞める人間にマネージャーを任せてもらい、多くの経験と学びをいただきました。本当にこの会社で良かったと。

実はこの福一時代が、3代目としての実力を養った大切な期間であると同時に、人生のターニングポイント。

実は当時付き合っていた人に、ふられてしまった鴇田さん。

元々、子どもが欲しいと思っていた鴇田さんは、早く結婚して地元に帰って家業を継ぐ、その未来を信じていたのに、それが挫かれてしまった。

この時初めて、人生について、深く深く、真剣に考えたそうです。

「これから俺、どーすんだ。」と。

その時に思ったのが

「やりたいことを、やろう」ということ。

じゃぁ、何がしたいんだ??

「海外に行きたい」だった。

そこから、福一で働きながら、海外に行くための資金を貯金。2年間、海外にいくことを目的に働く中で、現在亀山温泉ホテルの女将でもある奥様と、新たなるストーリーが始まるのです。

結婚する相手は、「女将」となる人だからこそ、それに適う女性をと、思っていたそう。

彼女は、ピッタリでしたね。

福一で共に働いていた、同僚でもあった奥様。
仕事もできるし、しっかりしていて、頼りになって。
あぁ、この人だな、女将としても、この人しかないと思ったん。

でも、考えたらひどいですよね。自分は海外に行くこと決めてる。ほんと、よく待っててくれたと思いますよ。

一度きりの人生、やりたいことをやろう。海外に行こう。だから、貯金して、行こう。そう決めて動いた2年がすぎ、ご自身の決意の通り、ワーキングホリデーでオーストラリアへ向かわれた鴇田さん。

えっ、その間奥様は、待っててくれたんですか??!!

思わず出てしまった言葉。

20代の女性の1年間は、好きな人に会うことなく待つ時間としては、かなり長いし、それが海外ともなれば尚更。当時は現在のように通信網も便利ではない中、それでも待つことができたなんて。

だからこそ。
日本を離れる時、奥様に渡したものがあったそうです。


それが、婚姻届。
小さな赤い箱に入れて、それを渡したのだとか。
「どうしても俺のことが信じられなくなったら開けてほしい」そんな言葉を残してオーストラリアに旅立ったんだとか。

まぁ、キザですよね。そういうことが、好きっていうか、それをしている自分が好きっていうか・・・・

照れ隠しのように言いながらも、そこにあった思いは本物だったのだろうということは、明らかでもあって。

オーストラリアでは、様々なことを経験。行きたいところに行って、旅をするように生きたそうです。

一度だけ、奥様が来てくれて、一緒に過ごしたことはあったけど、あとはごく限られた国際電話で近況を報告する程度。

帰国まで1ヶ月を切った頃には、

「これからのことを考えたいから帰国までは連絡を取らない。1ヶ月後あの場所へ戻ります。」

なんてこともあったのだとか!

やりたいことをやるを果たしたワーキングホリデーの帰りは、サプライズのように黙って帰国。

帰国したのは奥様と「あの場所へ帰る」と約束した日の2日前の名古屋。

それから深夜バスに乗って群馬県に向かい、二人の思い出の物語が始まった思い出の場所で10時間、炎天下で待ち続けたそうです。
奥様を待たせた分、今度は自分だと、思ったのかもしれません。

よく待ちましたよね。笑 ロマンチストかもしれないけど、この場所で涙の再会、ってね。バレて見つからないように、ちょっと物陰に隠れたりして。待ってる時間も、いやぁ、楽しかったですね。長かったけど。笑

一人として、好きなこと、やりたいことをする。
やりたいことをして、好きな人を好きなように好きでいる。

そして、その好きな人が、待っててくれている。

ご自身が重ねてこられた時間の中のことを、ストーリーのように話されるお姿を拝見していると、それだけ、ご自身の重ねてきた道、布石の一つ一つに、確かな想いを持ってこられたのだろうなと、思わずにはいられません。

帰国後は、待っててくれた奥様を出迎え、そしてご結婚。
亀山に戻ってきて、亀山温泉ホテルの後継の「若旦那」としてお勤めをされるように。

「家業を継いでみてどうでした?」と聞いてみると

いやぁ・・・大変でしたよ。
よくこれでやってきたなっていう感じで。
いかにも昭和のやり方というか・・・・何がどうなってるのか、ほんと、結構大変で。企画から、経理のことまで、このままじゃまずいなと。
経営ってキャッシュがないと回らないんですけど、それがないんですよ。一体どうやってやってきたんだろう、って。
だから、これはなんとかしないといけないなと思って、できうる限りのテコ入れをしました

思ったら、すぐやりたい、やってしまう。自分の中に生まれた「これをしたらきっと良くなるんじゃないか」「こうしたらいいはずだ」そう思ったアイディアは、どんどん、試していきたい。止まっている暇はない。

思ったら即行動。

HPを手入れし、企画を考え、経理を見直し、もう、とにかく全部、思いつくところはなんでもやってきました、と。

おそらく私がSNSで「若旦那」として駆け抜けてるお姿も、この頃からだったのだろうなと。

私はこの日打ち合わせから2度目の亀山温泉ホテルでしたが、館内には、鴇田さんが新たな風穴を開けるべく挑戦され続けてきた証と思われるものが随所に見受けられて。

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自ら温泉ソムリエとなって作った亀山温泉の分析説明のポスター。

1階のロビーの外、亀山湖前には、レイクデッキと名付けられた大きなウッドデッキスペースがあり、ゆっくりと亀山の自然を感じる空間に。こちらも代替わりを経て新たに設営されたもので、このウッドデッキの先には、一日一組限定のグランピング施設があります。

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晴れた朝にはレイクビューが開けるグランピング泊。

プランには、レイクビューとともに亀山湖の自然を体験できる、レイクリトリート体験も。

日帰りから宿泊まで、
ヨガ体験・ネイチャーガイドによる亀山地域散策、星空リトリートなど、ライフスタイルに合わせたさまざまなプランが用意されています。


さらに、現在の亀山温泉ホテルには、貸切の半露天風呂があるのですが

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昨年から、鴇田さんの夢でもあった、新たに貸切露天風呂を作る計画を実行。この春、兎亀乃湯としてオープン。

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この貸切露天完成に先駆けて、一足先にレイクデッキエリアには、足湯スペースが完成。

宿泊、日帰りなどにかかわらず、亀山温泉をご利用の方なら、どなたでも利用できるよう、つい先日から運用が始まりました。
もちろんこちらも、チョコレート色の亀山温泉のお湯。なんと、イベントなどでも活用できるよう、持ち運びもできるのだとか。

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代替わりをされて3年、「新しい時代には新しいやり方を」と、静かに見守ってくれる先代のあたたかく大きな視線を感じながら、突き進んできた道。

改革・改新を背負って走ってこられたのだろうなと、この日の対話から感じたのは言うまでもなく。

とにかく駆け抜けてきましたね。
突っ走りすぎて、気づいたら周りがついてきてなかった、なんてことも、あって。

世代交代から4年間は試練の連続。代交代のバタバタ劇の1年目、大型台風とコロナで過去最低売り上げだった2年目、ウィズコロナで変化を余儀なくされた3年目、そして4年目。

現在は苦境を強いられている中でもわずかな可能性の光が見えている、そんな中での対談でした。

このshutterは、ご依頼者様と対談させていただきながら、そのお話を書かせていただくと同時に、筆者が感じたことも書かせていただくという、世間一般のインタビュー記事とは違った妙味を持った企画です。

なのでここからは少し、この日の対談を通して、筆者である私が感じたことを。

この日鴇田さんが私に話してくれたことは、「もの起点」からではなく「人起点」でした。

ご自身の思い出、歩んできた道。
ご家族との、ストーリー。
おじいさまから、お父様へ、そしてご自身へ。
お父様とともに、ホテルに尽力されたお母様への思い。
奥様を思う、キザすぎるほどの愛情。その照れ隠し。
今はもう引退されたご両親とのあたたかな関係。
経営に口を出すことはせずに、潔くいてくれることへの感謝。

亀山温泉ホテルという、ご自身の故郷であり、ルーツが受け継いできたこの場所を、大切な舞台として、そこにある人との時間、そこにあった出来事や思いを、ずっと語ってくれた鴇田さん。

ホテルの設備的な良さやホテル運用のその実際の話よりも、何倍も多くの時間をかけて私に話してくれたのは「人との間にあったもの」でした。
奥様とのストーリーを嬉しそうに話してくれたことからは、どれほどその存在を大切に思っているかが、窺い知れます。

そしてまた、教えてもくれました。

亀山が、この地域が好きだと。
だから、この地域を出てどこかに行きたいと思ったことはないし
これからもそれは変わらずにいると。

僕はここ、亀山をよくしていきたい。
もっと、亀山を多くの人に知ってもらいたいし、ここから世界をよくしていきたい。だから他の地域に行けばもっといいかもしれない、と思ったことがないです。

そんな鴇田さんのお言葉から、私に浮かんだキーワードは

「家族」

あの日の対談を、何度思い出しても、この言葉にたどり着きます。

先代から受け継がれてきた、原点
その地でまた生まれ育ち、根を下ろし、
大人になってなおその場所で、事業を継ぐことを決意し
母親には、楽をさせたい、
そして、早く子どもを持ちたいと願い、

女将にぴったりの人を、なんともドラマティックに射止められて。(そうして亀山に来てくれた奥様には感謝しかないと、何度も対談中におっしゃっていました)

新たなるご家族とともに経営を受け継いだホテルでは、子育てファミリーにもっと温泉ステイを楽しんで欲しいと、ウエルカムベビーの宿の認定も取られて。

この地を、このホテルを、守り、進化させるためにと、尽力された日々。

私からみていると、この亀山の地に、亀山温泉ホテルから広がっていく、新たなる命の繋がり、ファミリーのような循環を、もしかしたら鴇田さんは生み育ててゆくのではないかと、そう思えてなりません。

受け継いだ命とともに、地域に新たなる息吹の循環を。

あくまでも、私が感じたこと、ですが。

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亀山温泉ホテルの3代目となり走り続けた3年の月日を振り返って。

つい、自分でなんでもやってしまう。やらないと気が済まない。自分でやった方が早いと突っ走ってきたけれど。
それだけではダメなんだなぁということも感じましたね。。。
人。人とのコミュニケーションを、もっと、とっていかないと。

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目の前に開かれたレイクビューを見ながら、そう仰った鴇田さん。

現在は、コミュニケーションを高めるべく、コーチングも学ばれ、これからスタッフ一人一人とも、もっと心をオープンにして関わっていきたい、「難しいとは思いますけれどね。」そう言いながらも教えてくださいました。

古き時代から受け継がれたものを継ぎ、そして、今の時代に変換しながら、生かして生きてゆく。

事業を継ぐというその責任が如何程の重さであるか、それは私には計り知れませんが

一つ一つ、突き進み続けた3年を経て感じた、「人」との関わりをより一層紡いでいくチャレンジが始まるだろうこれから。

今では時代は自由さを増していく中、仕事を選ぶ自由も、10年、20年前とは比べものにならないほどに随分と広がりました。

その中で、長きに渡ってお勤めされているスタッフの方が多いこと。
それだけきっと、この場所にかける思いを大切にお持ちの方が多いのではないか。
そんなことを感じずにはいられません。

一人一人にきっと、思いがあり、その思いのために、今日もこの場所で、お一人お一人が、仕事に向き合っている。きっと。

創業70年。

この70年の間に、先代、そしてその先代とともに亀山温泉ホテルを守り続けた人たちの人情が、ここにはきっと、詰まっている。

だから、今日まで続いてきた、70年。

経営者は一人だけれど、経営するのは、一人じゃない。

そんなことを、思います。

この日の対談では、プライベートなお話もたくさん聞かせていただいて。

お子さんとテレビゲームをしてつい自分の方がムキになってしまって、大暴れしてしまった、そんな話も聞かせてくださいました。

そうそう。人には心がある。
ムキになったり、喜んだり、怒ったり、笑ったり。その全てで生きている。

私たちはたくさんの心を持っていて、それは、学ぶだけでは理解し得ない、一人一人のリアル。

くれゆく時間を味わいながら、たくさんのことを話したあの日だけではなく
初めて訪れた日の、スタッフの方の、お一人お一人の方の眼差し、その一つ一つが、思いとともにここにいることを選んだ方の眼差しでした。

これまでに鴇田さんが3年の月日をかけて、改革してきた、今の時代ならではの亀山温泉ホテルスタイルと、
守り受け継がれてきたもの、その個性、それは古ささえも、魅力として
そして、関わる人たちの、一つ一つの思い
その全てが、この時代の中で、きっと想像以上の化学変化を起こすのではないかと・・・・・

これからは、もっと、一人一人と、関わって繋がっていかないとですね

そう仰った鴇田さんの言葉から、今私が期待し、これから楽しみにしていることです。



いつもより長めのストーリーとなりましたが
今回、お届けしたかった言葉たちは、以上です。

また、あの美味しい、最適なコクと喉越しのサーモン丼を、食べにいかなくては。
都内からの友人を連れて行こうかな。
その時はどうぞよろしくお願いいたします。