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「手書き」が教えてくれたこと ■宮脇咲良

最近、「モーニング・ページ」というのを書くことを習慣にしている。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という本を読んだのがきっかけだ。

何となく”ゆるふわ自己啓発本”っぽいタイトルだが、中身はさにあらず。
これは翻訳本で、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』は邦題であり、原題は『The Artist’s Way』。
著者のジュリア・キャメロンはハリウッド映画、テレビのライターやディレクターとして活動している女性で、彼女が長年提唱している創造性を育てるためのワークショップ「アーティスト・ウェイ」の内容を記したのがこの本だ。

著者が提唱するワークの重要なツールの一つが、「モーニング・ページ」で、書き方のルールは「朝起きたらすぐにノート3ページ分、頭に浮かんだことを自由に手書きする」というもの。
著者曰く、これには「脳の排水」のような効果があるとのこと。
書き始めてみると、すぐに「手書き」であることの意味を感じた。
キーボードでテキスト入力をすることに慣れている私は、手書きを「遅い」と感じる。
そして、この「遅さ」が良いな……と思った。
キーボードを打っているときよりも文章が出来ていく速度が遅いため、それに伴って思考が上滑りせず、「普段よりも深く考えられている」という実感がある。

さらに気づいたのは、「これ、案外疲れるな」ということ。
モーニング・ページを始めるまで、私の日常には「ノート3ページ分の文章をぶっ続けで手書きする」という場面がなかったため、意外と腕や肩が疲れるのだ。
私は文房具にせよ、その他の日用品にせよ、大したこだわりがなく、「何となく買ったものを、何となく使い続けている」という雑なタイプなので、手元にあったノートとシャーペンで書き始めてみたのだが、毎朝ノート3ページ分を書き続けるとなると、「書き心地の良いペンとノートの組合せ」を模索したくなった。
ペンは引っかかりを感じずに書けるものが良く、ノートも罫線の幅が1ミリ違うだけで書きやすさが違ってくる。
ちょこちょこメモを取る程度なら、ペンの書き心地や罫線の幅など、それほど気にならないが、ノート3ページ分となると、書くときの気分に大きく影響するのだと、つくづく感じた。

そしていくつかのパターンを試し、自分なり「これだな」というペンとノートの組合せが見つかったとき、ふいに向田邦子さんの万年筆にまつわるエピソードを思い出した。
いわずと知れた名脚本家の向田さんは、着る物も、食べる物も、日用品や家具なども、妥協なく自分の好みを追求する人、というイメージがある。
以前、noteにイベントレポを投稿した「向田邦子没後40年特別イベント『いま、風が吹いている』」でも、作品だけでなく、彼女のライフスタイル全般を紹介する展示が数多くあった。

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そんな向田さんは万年筆の書き心地にもこだわりがあり、新品よりも人が使い込んでこなれたものを好んで、身近な人が使っている万年筆の中から気に入ったものをあの手この手で”略奪”するのが常だったという。
愛用していたパーカー製の万年筆は、ご友人が十八年も使っていたものを、断られても断られても頼み込み、泣き落として手に入れた、というエピソードは向田ファンなら知る人が多いと思う。

私は長年、向田さんの「万年筆へのこだわり」を、いわゆる”丁寧な暮らし”の一部分として捉えていた。
だがモーニング・ページをきっかけに、初めて「真剣にペンを選ぶ」という経験をして、はたと気がついた。
向田さんの万年筆へのこだわりはきっと、「洗練されたライフスタイルの追及」なんかじゃない。
もっと「実利の問題」だったんだ。

例えば1時間のテレビドラマの脚本を書く場合、分量は400字詰め原稿用紙換算で約60枚になり、稿を重ねれば、その数倍書くことになる。
それを手書きで……ともなれば、書き心地にこだわるのは当然だ。
わずかなペンの引っかかりが書き手のリズムを奪い、ストレスになる。
PCで脚本を書く私が、キーボードの打ち心地にこだわるのと同じことだったのだと思う。
気がついてみれば当然のことのように感じるが、「手書きで3ページ分、文章を書き続ける」という経験をしなければ、思い至らなかったと思う。
「自分で経験しなければ、見えないことがある」と、当たり前すぎることをしみじみと感じた。

こうなると自然に、向田さんの”勝負服”のことも頭に浮かんできた。
原稿に向かう際に着る服を、向田さんは勝負服と呼んでいて、例えばそれは今で言うチュニックのようなブラウスだった。
生地は肌ざわり良く柔らかで、肩から袖のラインにゆとりがある。
襟元はきつくなく、袖のボタンは書くときにじゃまにならないよう、少し外側につけられている。
そんなブラウスを、同じデザインで何枚も仕立てていたそうだ。
服から感じる小さなストレスが原稿への集中力を削ぐことのないように、考え抜かれたデザインというわけだ。

私が「手書き」を習慣化してみて気づいたことがもう一つある。
せっかくペンを厳選し、ノートにこだわっていても、自分が自分に、無駄な負荷をかけてしまうときがある。
いつの間にか肩に力が入ったり、ペンを強く握り過ぎたりしてしまって、体に痛みが生じる場合がある。
肩や腕が痛いと感じて初めて、余計な力が入っていたんだなと気づく。
変に力まなくても、さらさらと書けるペンとノートをせっかく見つけたのに、知らぬ間に、勝手に力んでしまっているのだ。

数日前も、モーニング・ページの終盤で右手が痛くなり、息を吐いて、ふんわりとペンを握りなおした。
その瞬間、ふいに思った。
肩や腕に無駄に力が入っていたのは、私の「心の問題」なのかもしれない。
モーニング・ページには、正解も不正解もない。
とにかく、その瞬間ごとに頭に浮かんだことを自由に書けばよい。
例えば「キッチンペーパーもうすぐなくなるな。ダイソーで買わなきゃ。ほかにもダイソーで買うものあったかな?」みたいな文章でも一向に構わないのだ。
誰に読ませるわけでもないし、ひたすら気楽に書けば良い。
にもかかわらず、私は無駄に力んでしまうときがある。
まず心に力みが生じて、それが体にも伝わってしまっているんじゃないかという気がする。
モーニング・ページのような自由な書き物でさえ、時折そうなっているのだとしたら、人に読んでもらうことを前提としたものを書くときの私は、一体どれだけ力んでいるのだろう?

書き手としての私のなかには、「もっと評価されたい」という気持ちが明確にある。
この先それを完全に消し去れるとも思えない。
でも同時に、「評価なんてどうだっていい。とにかく自分が面白いと信じることを誰かに伝えたいだけなんだ!」という気持ちも強くある。
心と体が力んでしまうのは、きっと前者が勝ってしまっているときなんじゃないだろうか。
そしてその力みは、チェ・ソンギのような「とにかくこれが書きたい」という衝動が突き上げてきたときの熱を、自分のなかから消し去ってしまう。
「書きたい!」と思った瞬間の熱は、書き続け、書き上げるという道のりを乗り切るための大事な原動力であり、理屈を超えた力を原稿に与えてくれるというのに……。

だからこれからは、時々手を止め、深呼吸して、心と体の力を抜いてみようと思う。
「人に認められたい自分」に押し出されて、「とにかくこれを書きたい」と無邪気に思う自分が縮こまってしまわないように。

 

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