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独身の40代、50代は孤独に耐えられるか?   ■宮脇咲良

独身中年男女が子供がいないから気楽っていうのあまりに中年への解像度が低過ぎる。独りぼっちの50代とか気楽どころかキツイに決まってる。よほど才能があるとか実家が太いとかでジジババになっても人が寄ってきたりしない限りはメンタルが歳と共にどんどんすり減って行く。

「メンタルが歳と共にすり減る」「漏れなく狂う」等の悲観論に「楽しく暮らしてる人もいる」と反論もあるけど、20代のイメージで「一人でも楽しく生きれる」って言ってる人、4.50代の独身を実際にあんまり見たこと無いのかなぁって思う。漏れなく狂うよ。

例外無し。

実家がスナックでよく手伝いしてたから、高齢独身は男女共に沢山見てたけど、全員孤独に耐えきれなくなってパートナーを見つけようとするも既に汚いオッサンオバサンなので見付からなくて狂うっていう感じ。恋愛から降りる手段、結婚以外に存在しない。なんなら結婚した所で恋愛からは降りられない。結婚しなかったら永遠に20代の恋人がいなくて苦しい感じが続く。死ぬまで。そういう状態が数十年続いたらそりゃ狂うよね。

本当にこの通りでカッコ良かった先輩達がみんな45歳を過ぎたあたりから狂って行く様を見れたおかげで結婚するモチベーションが持てた。実際に人が孤独でおかしくなる様を目の当たりにしたらビビる。

 

「1人になるのは、イヤ」「孤独な人と思われたくない」……。絶えず人との関わりを求め、人がいないと生きていけないというような人がいます。どうして人がいないとそんなに寂しがるのか?と考えると、1つの答えが浮かび上がってきます。人の評価に頼って生きているから――。「人はどう思うか」「人が認めてくれるか」と、他人の目からの評価が生きている価値であり、それを基準に行動しているため、〝1人〞を楽しめないのです。
では、どうすれば「孤独」というネガティブな感情を整理して、1人の時間を充実した幸せな時間にすることができるのか?

「つながりたいけれど、つながれない」という分離不安。孤独感は、物理的に"1人"というのではなく、感情的な問題です。もともと「だれかとつながっているものだ」という前提があると、つながりを得られないときに、孤独感を味わうことになります。世界がもともと自分1人だったら孤独を感じることはないのでしょうが、自分以外のだれかが存在しているために孤独を感じてしまうのでしょう。子どももよく、お母さんが離れようとすると、寂しがって泣いていますね。もともとお母さんとつながっていた子どもは、お母さんのことが認識できるようになると、ひとりぼっちになる不安を感じるといいます。感情の塊(かたまり)である子どもは、保育園に預けようとすると、最初は激しく抵抗するかもしれません。「怖いよー。お母さんがいないと生きられないし、愛情も与えてもらえない。ちっとも楽しくないよー」と寂しがっているのです。でも、最初から他人に人懐っこかったり、保育園に慣れて、そこでの楽しみが見つかったりすると、子どもはそれほど泣かなくなります。お母さんに依存せず、「ばいばーい」とにっこり笑って、自分から楽しい世界に飛び込んでいくでしょう。大人であっても、「私は1人でも大丈夫。この世界も悪くないわ。そのうち友だちもできるでしょう」と、自分も世の中も信じることができれば孤独はさほど感じないはずです。  バツイチの人は結構安定してたりしますね。でも8割狂います。フル独身だと10割狂うので2割助かる見込みがあります。定型発達人間は何がなんでも結婚して子供を作った方が幸せな気がします。
本当に孤独に強いのは発達の民ぐらいだと思いますよ悪いこと言わないから発達じゃない人は周りに人がいた方がいいです
自分で乗り越えるか、何かに依存するか。基本的に、人が寄ってくる才能なり実家の太さなりがあるような50代、独身中年男女になるわけないんだよな……。
太い実家が独身で過ごすことを許してくれるわけないし、人が寄ってくると口説く人間だらけになって面倒だから、若いうちに結婚して身を固めて、恋愛いらんモードやる方が楽だし。これに該当する中年が、あるところでは反ワクや陰謀論にハマったり別のあるところでは全裸中年になって警察沙汰になったりするンだな「友達たくさん!色んな事して楽しい!」のタイプが年齢重ねると、それぞれ忙しくなったり結婚したりで、孤独耐性なくて狂うのでは。自分はそもそも人間関係で苦しんだクチだからむしろ気楽。

孤独を乗り越えられない人の特徴

人間には、孤独で辛い状況をなんとか脱しようとする力が備わっています。これが健全に機能している人は、孤独を受け止め、それを乗り越えていくための術を覚えていきます。「人とつながろう」と自分から積極的に人を求め、自分をわかってもらおうとします。自分を受け入れてもらうために、人間関係を学んでいくでしょう。また、孤独の中で自分と向き合い、何かを生み出そうとする人もいます。そういう人には身の丈に合わない「誰かに面白がらせてもらいたい、ちやほやしてもらいたい、恭しく扱われたい」欲求があるせいかな、と考えてみたりするわけで。そうして、人の痛みがわかるようになったり、1人でいる自信をもてたり、人といることに喜びを感じたり……という学習を経て、人間としての深みは増し、成長していきます。スナックに入り浸っているようなアルコール依存症だから狂っていたのでないかという疑問が。自分が行ってるパーソナルジムにいるような優雅な単身者が狂ってるようには見えないんだよね。ところが、ただ「寂しさをまぎらわそう」「1人にはなりたくない」と、逃げの姿勢の人は、なかなか孤独を乗り越えられません。そんな人には残念ながら、孤独の苦しみが絶えずついて回るでしょう。裏切らない二次元が嫁!!って革命に燃えてた人達、40超えてくるとみんな自分から二次元を裏切ってコンカフェ地下アイドルばかり。無理に人に合わせたり、人の輪に形だけでも加わろうとしていたり、とりあえず物理的に、1人にならない状況をつくろうとしても、「なんだか寂しい」という気持ちを、拭い去ることはできないはずです。心がつながっている状態ではないからです。一時的に孤独が解消されたとしても、人とわかり合えない状況、疎外感をもつ状況になると、また孤独に陥ります。孤独を受け入れ、自力でなんとかしようとする覚悟がないかぎり、寂しさは続き、依存できるものを求め続けるのです。 人の評価に頼って生きているから。

自分で自分を認められるか

"孤独恐怖症"というほど、1人になるのを恐れて、絶えず人との関わりを求め、人がいないと生きていけないというような人がいます……。どうして人がいないとそんなに寂しがるのか?と考えると、1つの答えが浮かび上がってきます。「人の評価に頼って生きているから」「人はどう思うか」「人が認めてくれるか」と、他人の目からの評価が生きている価値であり、それを基準に行動しているため、"1人"を楽しめないのです。人にもよりますが、10代、20代は、いつも人と一緒にいないと気が済まなかった人も、年齢とともに1人の生活を楽しめるようになってくるものです。自分のために家庭菜園をもっておいしい料理を作ったり、自分の趣味に没頭したり、一人旅を楽しんだり。これは人からの評価がなくても、自分で自分を認めたり、喜ばせたりできるようになり、自己完結できる力を獲得したからです。他人に依存している人は、自分の欲求を押し殺したり、逆に押しつけたりしているところがあります。人がいないと自分の行動を決められないようでは、自分も相手も疲れてしまうでしょう。家族があればイージーモードなのか?どう行ってもハードモードだが、頑張る理由があるって違いがあるだけだろう。そしてそれが精神的にも支えになる。でも、「人といるのも好きだけれど、1人でもOK」と精神的自立ができている人なら、相手と対等な関係が築け、相手を思いやる気持ちももてます。そんな人は、相手にとっても負担がなく、心地いいのです。人は、わかり合えないからおもしろい。他人をすべてわかることはできないし、同様に、自分をすべてわかってもらうこともできないともいえます。会社のなかで孤立したとき、気が合っていた友人と意見が食いちがったとき、恋人が自分の期待に反する行動をとったとき、親が自分のことを認めてくれないとき……寂しいものです。「どうして、わかってくれないんだろう」と思います。そして、「話せばわかってもらえる」「わかり合えるはずだ」という信念のもと、無理に気持ちを一致させようとがんばって、これが、うまくいけばいいのですが、気持ちが平行線だとさらなる孤独が待っています。でも、「相手も自分と同じように考えてくれるだろう」と思うのは、大まちがい。それぞれ、ちがう人間だから、考え方がちがうのは当然のこと。それぞれ、別のDNAを受け継ぎ、性質もちがえば、育った環境もちがう。受けた教育も経験もちがう、出会った人もちがう……。そんな異質な条件下で、考えがちがったり、理解できなかったりすることが生まれてくるのは、ごく自然な流れです。相手を、自分とは同じでない"別の人"として尊重しようとすると、理解や賛成はできなくても、その考えを認め、受け入れることができます。

孤独でも寂しくない人の「捉え方」

「人はわかり合えるはずだ」と思えば、わかり合えないことが寂しく感じられますが、「わかり合えないこともある」と考えていれば、わかり合っていくことがうれしいもの。「人間はわからないから、おもしろい」「すべてはわからないけれど、少しでもわかりたい」と近づいていく姿勢が、お互いの距離を埋めていくのでしょう。そもそも人間とは孤独なものなのです。この世に生を享(う)けてから息を引き取るまで、それぞれひとりの人生を歩いています。家族や友人、恋人、仕事仲間など、ほかの人と寄り添うことはあっても、クリムゾン先生も決して同じ線上になることはありません。それに、自分の考えにしたがってのびのびと生きようとすると、必ず、衝突や軋轢が生じます。そんなときに、孤独を受け入れて、「人それぞれ」「わからないこともある」とあっさりちがいを認めることが、孤独から寂しさを生まない知恵だと思うのです。あえて言うなら、半端に恋愛のステージに乗るしかなくなって狂わないように、ギャンブルでもオタク系でも何でもいいから「何かしらちゃんと自分が楽しめる趣味を持っていること」が大事なのかもなぁ。 ペットを飼いなされ。彼らなら無条件の信頼が得られます 

あと2、30年もすれば、十分出来のいい対話型AIも完成してるだろうし、その子とVRの中で一緒に過ごしたり、配膳ロボみたいなのの進化系とリアルコミュニケーションできるようになってたりするやろ ペットで満足できるなら、AIでも間違いなく満足できるはず どちらかというと人口減による国家サービスの低下や経済的な衰退の方がリアルな問題だと思うわ