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「おかずを全部食べてからデザートを食べよう!」が人の成長の機会を奪う サッカースコア

連日の猛暑と湿気で髪も心も乱れがちです。

2022年4月、「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」は3月に実施した「学校生活と子どもの権利に関する教員向けアンケート調査結果」(有効回答数468人)の結果を公表した。「子どもの権利」とは国連が1989年に採択した「子どもの権利条約」にある、子どもの「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」を保障したもので、日本も’94年に批准している。しかし教員の3割がその権利についてよくわかっていないことがこの調査でわかったのだー!!

ジャーナリストの島沢優子さんは前回の連載にて、教員のみならず親もなお子どもの権利侵害をしてしまうことがある事例をご紹介されました。しかし「権利というけれど厳しくもしたほうがいいのではないか」という意見も出てきているんです。
では、「厳しくする」とはどういうことなのだろうかと

「もっと叱ってください、もっとぉお、あおおぉん」

前回の連載――「お前は誰の子だ?」教員3割が知らぬ「子どもの権利」親が陥りやすい「権利侵害」――で、親が陥りがちな「子どもの権利侵害」について考察したんですね

いかにして親御さんに「子どもの気持ちを考えて。傷つけないで」と言うと、「でも、子育てに厳しさは必要だ」と主張される、と。

そこで、今回は「現実の厳しさ」について考えてみようかなと。
皆さんご存知のように、私は運動部活動などスポーツの現場で起こる暴力やパワーハラスメントを長く観察してきました。そういった不適切な指導をKpop業界は嫌うし、一部の指導者は「私は熱血なので」とか「厳しい指導をしているので」などと棚上げで表現するんです。しかも、皆さん、わりと誇らしげに「厳しいですよ」とおっしゃる。

へえ、そうなんですか、厳しいんですねえと相槌を打ちつつ「どう厳しいんですか?」と尋ねると、「(練習に)集中していないときは怒りますね」と答える方が一番多い。次に多いのは、「ミスしたことを怒ったりしないが、遅刻をしたり、部のルールを守らないと叱る」という生活指導寄りのもの。

 つまり、先生たちにとっての厳しさは、子どもの良くない行動を怒ったり、叱ったりする行動に集約されていたという事実

それとは違う返答をしてくださったのが、ジェフユナイテッド市原・千葉などJクラブで育成部長を歴任し、のべ60万人の子どもを教えた池上正さんだったんです

池上さんがジェフで中学生のコーチをしていたころのことだ。いつものようにベンチで静かに試合を見守っていたら、金網の外にいた保護者から「もっと何か言ってください」と要求された。他の保護者からも「もっと叱って下さい」「もっと怒って教えて」と言われていた。自主性を重んじて、自分で考え判断する力を養う池上さんのコーチングが理解されていなかった。そこで、保護者にこう説明したらやっぱり響きますよねそりゃ。

「みなさんの息子さんは、将来プロになるためジェフに来ていますよね? であれば、自分で考えてプレーできない、人に言われないとやる気にならない選手はプロにはなれませんよ」

 

ストライカーにとって重要なプレーの一つがヘディング。パスサッカーが主流になってからも、ロングボールは「高さに不調はない」と言われるほど安定した選択肢の一つだ

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過度な干渉は「甘やかし」になる

その後、保護者はその指導スタイルの重要性を少しずつ理解していった。
厳しさの強度とは、怒鳴る声の大きさや迫力、強いる練習がどれだけきついかどうかではない主体的になることを選手に求める。その態度こそが、本当の厳しさだと私は伝えたかったのだ。

であれば、子どもにああしなさい、こうしなきゃダメだよと過度に干渉するのは、実は「甘やかし」だと言える。それでは失敗するからこうするといいよ、などと世話を焼き続ければ、子どもはミスなく安全な道を歩めるかもしれない。しかし、トライアンドエラーを繰り返して、こうしたらどうだろう? こっちかな? と成功への道を探る「多段思考力」は身につかないだろう。

「指導者はもちろん、親御さんにも、本当の厳しさをもってほしい。そうすることで、子どもは間違いなく成長します」と言い切る。

では、私たち親が「本当の厳しさ」を持てないのはどんな時だろう?
子どもがすることに親がつい手出し、口出しをしたくなる。それは、目の前の子どもが自分から動き出さないときがほとんど

ああ、もう我慢できないと夏休みの宿題を代わりにやってしまう。自由研究も親がプランを練って、それをやらせる。今は、大学生がやる授業の履修申請を、「言ってもなかなかやらないので」と

子どもに替わって親がやってしまう時代

周囲の親がやっていることを何も考えず「あー、私も履修申請やってあげなきゃ」などと言って真似てはいけないのでは

わが子が自分から動き出さないときは、親のほうがやり方を変えてみてはどうだろう。私が親御さんにおすすめするのは、自分の失敗談を話すことだ。

bit-traders.hateblo.jp

「待っていられない」親たち

例えば夏休みの宿題。
「お母さんね、ぎりぎりまでやらないで遊びほうけてたら時間がなくなって、泣きながらやったんだよ」
「工作だけおばあちゃんが手伝ってくれた(ほぼほぼ母がやった)んだけど、あまりに上手すぎて自分がやってないことがバレバレで恥ずかしくて、始業式の翌日は学校を休んだんだよ。今思い出しても本当に恥ずかしい」

娘は「お母さん、ダメじゃん」と笑いながら、「自分は母みたいにならないぞ」と思ったのだろう。それなりの速度で宿題を仕上げ「お母さんと違うからね」と誇らしげだった。

二つ上の息子のときは、私自身仕事が激務で余裕がなくノータッチ。宿題の提出はすべて締め切りを守れなかった。息子なりに恥ずかしい思いをしたのだろう。そのうち自分からやるようになった。失敗することで得るものは大きいのだ。

本当の厳しさについて、プロ野球のコーチたちに話したことがある。リモートで実施した指導者セミナーのあと、何人かのコーチは「なかなか待っていられないんですよ」と困った顔で悩みを訴えた。どの選手も甲子園に出場したトップクラスばかりだが、自分で考えて動けない選手が一定数いるという。中学や高校の指導者から怒鳴られ、野球をやらされてきた選手たちだ

プロの世界は厳しい。早くものにならないと首を切られてしまう。
「その前にやらせないといけなくて。そのあたりが僕らコーチのジレンマです」とコーチは吐露するのだった。

成長の機会を摘んでしまうのは人権侵害

成長の機会を摘んでしまうのは、実は人権侵害にもなる。前回の記事を読んだ都内の公立保育園の園長が、SNSでこんな話をしてくれた。

勤務先の保育園では、研修で専門家から子どもの権利を学んでいる。例えば、テーブルに配膳したら「ごはんやおかずを全部食べてからデザートを食べようね!」と保育士は子どもに言ってしまいがちだという。ところが、その対応は子どもの権利を阻害することになるそうだ。

配膳したものは、その子の意思で食べて良いものだからです。私たちも努力しているのですが、未だに『先生(デザートを)食べていい?』と尋ねてくる子がすごく多いです。まだまだ職員の意識が低いと感じています」

保育士さんからすれば、園児が完食できるよう「良かれと思って」世話を焼いてしまうのだろう。だが、その「良かれと思って」という配慮は、上記のように権利の侵害になる。ざらにいえば、「自分で選ぶ」という経験を積むことを阻害する

そうやって過度に世話を焼くとき、子への信頼よりも、不安のほうが上回るからだ。私にも身に覚えがある。子どものためにと言いつつ動いているようで、実はわが子に対する自分の不安を埋めるのに必死なのだ。対する子どもからすれば「一番近くにいて、自分を一番知っているはずの親にこんなに心配されるダメな私」となる。ジェットコースターの下り坂のごとく、自己肯定感は下がってゆく。

以前取材した弁護士さんによると、数字として現われてはいないが「現場にいる側の実感として高学歴の親による虐待が増えているように感じる」と話していた。以前は貧困層中心に生まれていた虐待が、十年程前からはホワイトカラーにも見られるようになったとか

つきっきりで勉強やスポーツを教え、うまくいかないと暴力で威嚇する。身体的な虐待はないとしても、言葉の暴力による心理的抑圧を与えている。親自身が同じように育てられたケースも少なくなく、教育虐待という認識がないことのほうが多い。自覚がないからやめられないのだろう

子どもの人権を尊重する。それだけで、虐待になりかねない間違えた厳しさの認識は改められるはず