妹がピルを飲んでいた ■宮脇咲良
久々に実家に帰ったら、台所に薬があった。
妹が服用しているピルだそうだ。
それを母から聞いて家の中をめちゃくちゃにしたくなった。
センター試験を受ける数か月前、センター当日に生理がかぶることが濃厚だと察した。わたしはぶっ倒れたり動けなくなるほど重たい生理の諸症状を持っていたわけではないが、頭痛腹痛吐き気眠気には襲われる。親に「世の中には特定の日と生理がかぶらないようにする術があるらしいので、病院にかからせてくれないか」と言った。「行ってみなさい」か「そんなのダメ」と言われると思っていたが、どういうわけか烈火のごとく叱られた。「生理を病気扱いするな」「アンタの同級生でそんな子一人もいないよ」「センターの日をずらせばいいじゃないか(親はセンター試験を受けたことがないので仕組みを知らない)」「楽するな」などなどボロクソに怒鳴られた。なぜ怒られているのか。これは一体何の時間なのか。軽率に相談したことを心底後悔した。案の定、股から血を流しながらセンター試験を受けることになった。
実家の台所にあったピルは、旅行日に生理がかぶらないようにするため妹が処方を受けたものだそうだ。話を聞くと、これまでも何回か生理をずらすための処方を受けているようだ。就活の大事な場面、資格試験の日、そして大学入試。
妹がこれらのイベントを迎えるころには、わたしはもう実家には寝に帰るだけの生活を送っていたので知らなかった。妹は人生の要所で内臓を締め付けられるような痛みも、股に血液が張り付く不快感も、女子トイレの行列に対する恐怖も味わわずに済んでいる。
長年蓄積された負の感情が突沸したような気分だ。
両親はわたしと妹を平等に育てようとしていたと思う。習い事はほとんど同じものに通ったし、ふたりとも大学まで通わせてもらえた。
でも妹の方が甘え上手というかゴネ上手というか、親を困らせて意見を通す術に長けていた。だから姉のわたし目線ではなんとなく不平等に感じる場面も多い。
当時流行していたリュック、わたしがねだっても買ってもらえないが、妹は「これがないといじめられる!」と言えば買ってもらえた。
中学のジャージ、わたしは従兄のおさがりだったけど、妹は不登校になることをほのめかして新品を勝ち取った。
家族で行く外食先は、偏食の妹が店で「これおいしくなーい」とふてくされるのを恐れて全て妹の希望通りになる。
妹が事故で壊した車の修理費は、2回とも全額親が持っている。
終始こんな調子だ。
両親も妹の行動に困り疲れ果てた末に要求をのんでいたと思われるので、あまり責めることはできない。それほど妹のネゴシエーションは激烈だった。
だからこそ、これで平等に育てたと思われてるとちょっと納得いかない。せめて不平等であったと自覚してほしい。謝罪も補填もいらないから、せめて「わたしたち夫婦は姉妹のうち片方を優遇しました」と宣言してほしい。
書いていて思い出したが、親から「この家でひとりだけお姉ちゃんだからって、調子に乗っちゃいけないよ」言われたことがある。両親ともに末っ子として育ち、妹はもちろん末っ子だ。たしかにわたしだけが姉のポジション経験者だ。
親はことあるごとに自分が末っ子で苦労したエピソードを話した。服はいつもおさがりだったこと、食卓は戦場だったこと、悔しい思いを何度もしたこと。
もしかしたら、この家族の行動の根底には「調子に乗っちゃいけないよ」があるのかしら。姉という生き物は下のきょうだいに古い衣服を押し付け、好きなものを好きなだけ食べ、きょうだいを出し抜くことが快感である生き物だと思っているのかしら。
だから、妹には新品の流行の服を与え、好きなものを食べさせ、不自由ないように過ごさせるのかしら。こうしてやっと、姉妹は平等になると思っているのかしら。
さすがに穿った見方が過ぎるのは自覚している。でも、20ウン年間の積み重ねが、わたしのなかの実家像をどんどんゆがめていく。
結局、ピルを見て親の話を聞いて爆発寸前だった情緒は、長年かけて飼育されたお姉ちゃん人格によってシュルシュルと縮み、「妹ちゃんも大変なんだねぇ」などと思いやる言葉がオートで出てきた。
お姉ちゃんはきっと、この先も、この実家のメンバーがやることなすことに心を乱されては人格者のフリしてやりすごすのだろうな。
だって面倒くさいんだもの、この人たち!