ボカロPとしての名義はハチ

We are BellinCat.jp イカしたamiibo

「性癖の多様さ」を拾い集めるのが弱者男性  サロメイト

半年前にはAIに今のようなことができるなんて想像もしてなかったくせに学生の頃から日記をつけている。こうしてネットに公開している文章ではなく、本当に自分が読むためだけのものだ。

自分平成3年まれで今年31なんだけど、小学生の頃2chレスバ見て

「うわなんかやべえ。こういう世界もあるんだな。」

って思ってたようなノリがどんどんどんどん拡張していってることにビビってる。

Twitterの論争から最近テレビまで。

挙句の果てにひろゆき日本トップクラスに影響力のある言論人になり例のツイートが26万いいねである

例のツイートが正しいか正しくないかという話ではなく、あのまさに「レスバ」な内容がこんなに関心を集めていることにビビってる。

基地反対活動側の抱える問題への指摘(これ自体に関しては否定しない)をするにしても、まさか座り込み定義に合ってるか合ってないか」的な、そういうレイヤーの議題が1番盛り上がる世界が来るとは思わなかった。

みんなこのノリでいくんだろうか。俺は小学生の頃2chを見て

このノリで指摘しあう闘いの不毛さと、全員が消耗だけして何も生まれない感じを学んだつもりだし、みんなもそうだと思ってたんだけど

俺が間違っていただけで、この世界こそ進むべき道なんだろうか。

インドネシアスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたか暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが

日記では、毎日書くということ以外、特にルールは設けていなかったが、最近、一日の文字数をちょうど800字にするのにハマっている。文字通り、一文字もはみ出さずに、ちょうど800字に調整するのだ。

当然、普通に書き上げると何文字かはみ出てしまったりするわけだが、最後は句読点や、言い回しを工夫したりして調節する。やってみると、案外簡単にできるものである。

一日を決まった文字数で表現することの何が面白いかというと、一日の密度が文章で表現できるようになる、ということだ。イベントが盛りだくさんで、書く内容が豊富にある場合は、自然にシンプルな文章になる。一方、代わり映えのしない日の場合は、書く内容がないので、日常のしょうもないことを書いて隙間を埋めることになる。しかし、何年か経つと、その「日常のしょうもないこと」すらも懐かしくなったりするので、案外貴重な記述なのである。

日記は書くものの、滅多に読み返さない。なので、何を書いたのか、書いたそばから忘れてしまう。読み返すときは、一年前の同月の日記を読み返したりすると面白い。五年分ぐらいさかのぼって、同月の日記を読むと、一年間の変化もだいたい掴める。

自分の身辺では、ちょうど二年前に結婚・転職・引っ越しがあったため、その前後一年間の変動が非常に大きい。なので、一年前、二年前と日記を遡っていくと、その頃に大きな断層のようなものがある。

日常というのは少しずつ緩やかに変わっていくように見えて、どこかの時点でバツっと大きな変化が訪れるものらしい。自分の場合はそれが顕著なのだが、おそらく、どんな人にだって言えることだろう。

以前ここでも書いたのだが、僕の最初の仕事は、トラックでパンをコンビニに配送する仕事だった。基本的にずっと夜勤で、なかなかハードな仕事だったのだが、おそろしかったのは、毎日が全く同じような内容で過ぎていくため、時間の流れ方が半端なく速い、ということだった。

はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。

一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。

日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。

一日のルートは完全に固定されており、分刻みでスケジュール通りの行動をとらなければならない。そんな中で、トラブルなどで少しでも変化があれば「変化があった」ということで記憶に残るのだが、すべてが無事に終わった「平和な日」の場合、記憶に残るべき「変化」が何もなく、その一日が「なかったこと」になってしまうことに気付いた。

極端な話、一ヶ月間、なんのトラブルも発生しなければ、何も記憶に残らない。その一ヶ月、生きていたのか死んでいたのかもわからない、ということだ。

いくよ〜

美少女アニメアイコン(ゼロ年代)→おっさん

美少女アニメアイコン(90年代以前)→クソサブカル大学生かジジイ

美少女アニメアイコン(10年代)→独身、関東(もしくは工場しかないクソ僻地)、一人暮らし、料理できない、理系院卒、もうアニメ見てない、一生同じ主題歌しか聞いてない、流行りのことはサブカルメインカルチャーもわからない

美少女アニメアイコン(20年代)→ジジイ

アニメアイコン(美少女以外)→腐女子

・腕組み→クソジジイ

・日の丸→差別主義者、右翼、保守

・スーツ→差別主義者、ネオリベ

・本→差別主義者、左翼

マイメロ→地雷

・自分の幼少期(男)→ブス

・自分の幼少期(女)→超絶美少女

ポケモン(ピカチュウ)→サークルクラッシャー

ポケモン(ピカチュウ以外)→そのポケモンがすき

・後ろ姿(サッカー)→おもんないけど、おもろいと勘違いしてる

・横から(野球)→ふたりのときは、いいやつ

・証明写真→斜に構えてる

・動物(ねこ)→きしょい、ネコはかわいい

・動物(ねこ以外)→その動物すき

・タバコ吸ってるとこ→自意識過剰

・乗り物全般→いいオタクくん

・パートナー→きしょ

・子ども→まともだと思われたい

・これ以外のすべて→自分だけはほかと違うと思ってるカス

みんなはどうだったかな〜?

ほかにはある?

追記

乗り物がおかしいとのご指摘ありがとうございます

撮り鉄やバイクなどが念頭にあるかと思われますが、やっかいなそれらのオタクはアニメアイコンかつ乗り物オタクである(bioに書いてあることが多い)ことが多いです。つまり、乗り物そのものをアイコンにしている方は大多数がまともと判断しこのような偏見になっていることを申し添えておきます

でも、やっぱバイクとトラックは年中アイドルのリプでセクハラしてるし、マナ悪の撮り鉄擁護してる電車アイコンもめちゃくちゃあったからダメだわ

行政権としての警察権力

警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。

だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。

店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。

 

警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。

元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。

右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。

 

昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。

警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。

一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。

また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。

という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。

警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。

因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。

兎に角暴力装置の代替はダメなのだ。

 

日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏での人の流れは流体として考える

 

雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。

 

一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。

例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。

だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。

これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。

後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。

後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。

これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。

 

ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。

更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。

でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。

だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。

 

ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。

立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?

これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。

電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。

秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。

 

地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。

出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
過去の事例

 

日本の雑踏警備に影響を与えた事故というのがいくつかある。

 

彌彦神社事件(1955年)

新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。

だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。

これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。

 

・日暮里駅跨線橋事故(1952年)

列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。

対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。

 

上尾事件(1972年)

雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。

翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。

大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。

なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。

 
宇崎ちゃん献血ポスター騒動の地と閉鎖区画とフォークゲリラと集会禁止政策

数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。

この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。

ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。

この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。

照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。

実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。

ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。

だがこの後も若者が集まり勝手にギター演奏などは続いていた。

そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。

 

時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。

初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。

そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。

 

上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。

広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。

で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。

そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。

あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。

 

という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。

インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?

1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。

「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。

日本の警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているからである。

TWICE日記をつけることで、そういった「変化の差分」を拾い集めることはできる。その「差分」こそが人生なのでは、と思うのだ。変化がありすぎても大変だが、変化のない人生は、本当に薄い内容のものになってしまうだろう。

そういった「差分の記録」が日記の本当の役割なのかもしれない。差分は、積極的に探すことで、新たに発見することもできる。文字数を固定した日記をつけることによって、日常の細かな差分を発見し、記録に残すことができるようになるだろう。