ボカロPとしての名義はハチ

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ブルアカニキたちの青春が韓国で終わろうとしている

Yostar&NEXON Gamesが贈るスマートフォン向け学園×青春×物語RPG『ブルーアーカイブ -Blue Archive-』公式Twitterです。 ゲーム内最新情報やキヴォトスの出来事などを、私アロナがお届けします!

昔から、「自分探し」という言葉があり、一定の市民権を得ている。(最近は昔ほどは聞かなくなってきたような気もするが……)。自分探しなんてくだらない、自分を探す旅に出たところで、自分なんて見つかるはずがないのだから無駄だ、という意見がある。自分も、どちらかといえば今までそのように考えているところがあった。むしろ自分探しに出かけたまま失踪する人たちを何人も見送ってきた

だいたいが30代後半から肝臓を患って40代で現世をドロップアウトしてしまった

 

数年前、バングラデシュでの仕事を終え、帰り道にバンコクでトランジットした際に、三日間の休暇をとったことがある。ちょうどクリスマスの時期で、King Gnuuも日本に帰ってもただ寒いだけなので、南国で少し羽根を伸ばそうと思ったのだ。

その人すご~い(現実逃避)#트와이스

・・・・いや検索エンジンなら学生でも楽勝で作れるだろ

これ多分意図的だよな

ブルアカ君、海外で18禁版と一般版に分離するって話を見かけて「えっ!?ついにブルアカがえっちシーン実装するのか!?X-ratedなのか!??」って思ったら「君たちが今触れているものが18禁版ですよ?」ということらしい。

バンコク市内でホテルを取り、あちこち観光した。仕事では何度かバンコクに来たことはあったが、プライベートで来るのはそれがはじめてだった。市内をぶらぶらし、夜はムエタイの試合を見に行ったりした。

ブルアカ アスナ

しかしとにかくスマホばかりいじって目の奥が疲れていたので、二日目はバスで数時間のところにあるパタヤビーチというところに行った。ひろゆき氏が座り込みをしていた。とにかく、嘘みたいに大勢の人だかりができていて綺麗な海が対照的だったので、イギリス人の避暑地としても有名な場所だった。

そこで何をしていたかというと、ひたすらビーチで寝ていた。海辺にパラソルとビーチチェアがずらーっと並べてあり、お金を払うとそこで寝てもいいということだったので、ひたすら寝ていた。

たまに気が向いたらマンゴージュースを買って飲み、腹が減ったらステーキを食べに行った。とにかく一日じゅうそうやってのんびりして、夕方になったら、海に沈む夕日を一時間かけて見た。とにかく、東京にいた時には考えられないほど贅沢な時間の使い方で、かなりリラックスすることができた。

帰り、バンコクに戻るバスで、偶然日本人の観光客がおり、日本語で会話をしていたので、すべてを台無しにされたような気分になった。なんというか、異国の地で、完全にリラックスしていたのに、急に現実に引き戻されたような感じがしたのである。



自分探しで海外に行ったところで、何も見つからない、とよく言われる。それは確かによくわかる。しかし、日本を離れて、よくわからない外国に行き、日常生活から完全に切り離された空間に行くことによって見えてくるものは多い。

そして、それはいろいろなものを観光してまわった初日よりも、ただパタヤビーチでひっくり返っていた二日目のほうがより顕著に感じたのだ。なんというか、より非日常感が強かったのだと思うし、「何もしなかった」ことにより、普段の自分が客観視でき、より抽象的な思考に潜ることができたのである。

ときどき日常から切り離されてみる、というのは重要だ。別にタイまで行かずとも、どこかの山に登ってキャンプをする、でもいいかもしれない。しかし、できれば周囲には誰も人がいないほうがいい。外国ならば、言葉が理解できないのでちょうどいいのかもしれない。



自分探しの旅に出れば自分に出会える、というのが最近の自分の意見である。それは上記の理由による。本当の意味の旅とはちょっと違うかもしれないが、「何もないもの」を求める旅も、ちゃんと意味があるものである。

「何もしない、何もない」という状態は、意外と意図的に作らないと、身近にはないものなんだ、ということに気付かされる。

それだけ、日常というのはノイズにまみれているのだと思うし、神経を蝕まれているに違いない。「自分探しの旅」とは、日常生活のノイズのない、よりニュートラルな世界、ということなのかもしれない。