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漫画やアニメの異常な巨乳表現とは何か?  <えなこ>

腐女子の味方をしたいとかそういうつもりでは書いてない。

単純に自分が問題だと思うからこの提起をしている。

言いたいことは題名の通りで、漫画やアニメの「異常な表現」は見直されるべきだと思う。これはお気持ちの問題もあるが、どのように見直されるかがこの記事での命題だ。

『実際に女性に実害が出ていることのほうが大きいのではないだろうか。』このように問題提起された方は非常に強い危機感を持っておられる。いや実害といったものの実態把握という話になると視姦がどうとかそんな話は、男は女の思う10倍は見てるよって話になる。よって、見られることを良しとしない人たちがこの話の中心に据えられる人々だ。


漫画やアニメの異常な巨乳表現とは何か?

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図1:顔と胸のサイズが同じ女性は「異常な巨乳」なのだろうか?

漫画やアニメの異常な巨乳表現とは何か?それは、現実世界では滅多にいないサイズの巨乳女性が、その世界観では普通であるかのように表現されている一部のアニメに対して、男たちが現実ではあり得ないくらいの巨乳じゃなければ巨乳と感じられなくなってることだろうか。そもそも巨乳という言葉だけでほいほい引き寄せられて「うへへへへ」と悦んでいる人たちのリテラシーの無さと欲望に従順なことが問題の発端だ。

仮にDカップを漫画で描いた時、ほとんどの男の漫画家はF〜Gくらいのサイズで描いているように思う。これは顔面が胸と同等くらいのサイズ感を指す。そして、漫画で巨乳の女性は現実に置き換えるとJカップ以上なければありえないほどのサイズになっている。この問題を結婚して初めて認識できた人もおいでるだろう。彼女ができた時に知った人もいると思う。モテる男ならともかく、漫画アニメを見ている中にはブサイクなチー牛オタク男性も多いはずで、彼らの大半はこの間違い(つまり胸のサイズが異常)に気付かないままでいるはずだ。いや、むしろそのほうがいいと悦んでいる。これが問題的をされた方の主張だ。

それで、これの何が問題なのかと言うと、現実の女性がその漫画アニメ表現に合わせようとしてしまうことだ。では見られたい女性が実害を被っているという話なのだろうか。性を福祉として提供している、あるいは性産業で働いていらっしゃる、もしくは男女の関係性の中で行為が結実していらっしゃるみなさんは少なからずこの「異常な大きさのバスト」に違和感と圧力を感じた瞬間があるはず。残念ながら、それに対する統計データは発見できなかった。

セクシー女優や場合によっては一般の女性すら、この「男のイメージに沿った巨乳」にするためにシリコンを入れたりして豊胸している。これは性的優位を獲得するうえで有効あ手法として定着している。知らないかも知れないが、豊胸手術には切開が必要だし、適切なメンテナンスをしないとシリコンの袋が破れるなどして大事故に繋がる可能性もある。飛行機に乗っていた女性が、豊胸手術で入れた袋が破裂して大怪我をした話を知ってるだろうか?思っている以上に、豊胸というのはリスクを伴うものなのだ。これが包茎手術とリスクを比較した場合、やはり前者の方が高リスクである。男性の欲望への忠実さは、女性のリスク因子を増やすことに他ならないのではないかという主張に対しての男性の回答は「本人の自由」「したいようにしてもらえばいい」が殆どではないだろうか。

図2:この女性の胸の表現は「適切」だろうか?

 

彼女らはリスクを背負って、自らの身体を犠牲にしてまで男のイメージに合わせようとしている。それは相手が自分に一定の好意を寄せてくれるだろうという期待からくるものと、生活資金を稼ぐうえで豊胸手術が必要であること、優先的に自分が男性から選ばれる確率を高めるという目的をもつ、と捉えることとしたい。

さて、豊胸手術の話が出た流れで、整形手術にもフォーカスしてみよう。デジタル化が進んだ現代では顔面偏差値なる数値を計測する文化が発達してきた。その結果、「かわいい」「美しい」「かっこいい」は機械的に算出できるようになり、美容整形外科では機械的に算出、構築された「偏差値の高い顔」を生み出すことができるのだ。概ねこの外科的アプローチに伴う男女のリスク配分は身体を部位で分けた場合に同じであるとすることで、体形についての整形リスクは胸のパーツ分だけ女性のほうがリスク因子が多い(尻をでかく整形したい男性が多い世の中であれば、因子の数は変化しうる)

小さいと大きい

では巨乳症(gigantomastia)の女性の場合はどうだろうか

胸が胴体の面積以上を占めるこの疾患は、女性の身体への負荷が相当に大きい。そして、彼女らの多くはマイノリティである。近年の欧米的な表現のコンセンサスでは、マイノリティを差別するような表現は法に触れる、ともすれば「異常な巨乳表現」というのは日本における超マイノリティにあたり、表現を自由なものにする場合、それを規制することは不適切であるとさえ思える。異常というものを定義する場合、常態でのそれは反異常的なものであり解像度の違いによって表現を補う必要があるだろう。これが、この話におけるリテラシーにあたる部分だ。

Kpopにおける男女の性差は中性的に収束しつつある

なぜこのような話題を出したかというと、これはどういうことかと言えば、近年のルッキズムに基づいた主張に拠れば、中性的な顔立ちにメイクを施すことで、よりどちらの性に寄せるかのコントロールが可能になってきているのである。2次元がベースでも3次元がベースでも、コスメティックな部分で容姿のフォローを行うことができれば、リスク因子に対するアンチテーゼになりうることをKpopが示す格好になった。胸の大きさにおいても、パッドを入れることで大きく見せることは可能であり、その逆に小さく見せることも可能なことを示せる。胸以外の部位を大きく見せればいいのだ

ではここで、男性が女性を性的に鑑賞し欲望の捌け口にする場合に、前述したような「リスクを取って魅力的に見られるようにする」ことを考えたことがあるだろうか?そこに配慮はあるんか?答えはYESだ。

男性の無理解と無知によってこの問題はいつも再生産されるのだとすれば、多くのアダルトコンテンツを鑑賞する男性は、コンテンツを見れば見るほど脳裏に豊胸手術という言葉がよぎる確率が上昇することになる(問題意識を萌芽させた場合に限る)。よって男性諸君には問題意識を啓蒙する必要が出てくる、これは「異常な巨乳表現」が問題であると常に自覚してもらう必要があるわけだが、全ての男性がそのように思えるのかは「嗜好」に拠るところが大きい。これがお気持ちとよばれるものだ。

ワートリの件は正直いってよく知らないが、巨乳がどうこうは昔からある話なので思い切ってこの話に便乗しようと思った。ワールドトリガーのキャラクターの絵柄がだいたい同じでキャラの見分けがつきにくい問題が解決していないにも関わらず、新たな問題が浮上していたことに苦しさを覚えている。

つらつらと書いてみた。

カップ表記が下品で、ポリコレの叫ばれる時代にはそぐわないという意見もある。それ以前に巨乳の表現はもう少し漫画やアニメの業界全体で見直されてもいいはずだ。大きさよりも、見直されるべきはむしろ

形ではないだろうか?

ロケット型、釣り鐘型のシェアを調べて推して知るべきだと思う。少なくともそれが現実世界に悪影響を与えているならば、本来は何らかの規制をすべきだろう。しかし大きさについての研究で男性が女性に与える悪影響について記録されたデータは非常に少ない。胸の形状についてのデータは無いに等しいのではないか。(データがないことが問題意識を消散させる理由にはならない)

少年誌も時代に合わせて規制が強化されているが、このままいくと胸の形の表現を変えていく必要が出てくるだろう。いつまでも、尻と胸の違いが分からない描写では見ているほうが混乱してしまう。「なんで日本の漫画やアニメでは、女性の胸に尻がついているのか」と考え込んでしまう外国人がいるが、もっともだと思う。

マジョリティが触れるメディアで差別が再生産されるのが問題であってゾーニングは無意味」と言う人には悪いのだが、差別というのは言葉から生まれ出るものであり、我々が言語を繰り「相対的な表現」を目的にしている以上は、この問題の着地点には大量の爆薬が仕掛けられている。

ぶっちゃけた話

結局、表現を意識的にないしは無意識的に差別に利用するユーザーが悪いのであって表現そのものに罪は無い。罪はないが人間の側に表現が働きかけるうえでは分別を伴えないことが多いのであれば、その表現には適切な処理を施すことが必要だ。特に男性は進化の過程で丸いものを尻に見立てる傾向が遺伝的に残ってきたからだ。注釈をつけてみるのはどうだろうかーーこのキャラクターは登場キャラクター総数に対する巨乳の割合から算出されたものであるーー興覚めだろう。

いやまぁそういうユーザーが集るコンテンツを潰す事に大義がある事は否定しないけど、やはり作品と消費者側の双方に影響度を測るべくメスを入れないとイタチごっこになりかねないし、行きつく先は反ポルノになるよねって強く主張することは間違っていない。ポルノの需要においては男性が異性に多くの要求を出しているように見られても仕方がない状況に置かれている。「アニメ」におけるアダルトコンテンツの主たる消費者が男性であることで、相対的に主たる消費を行わない女性がマイノリティになっているからだ。だからといってポルノを社会悪のように見ていては、孤立した個人の性的な充足をどのように満たすことができるのだろう。(それは満たされる必要があるのだろうか)

では漫画はどうか、漫画市場における性的消費量は女性の方が多いという統計が売上から出ている。その売り上げにペニスのサイズが影響を及ぼしているという話は聞いたことがないが、実際は存在しているのかもしれない。男性の胸の大きさを女性と同等に表現した女性向けの漫画というのは見たことがないが豊胸手術をするよりも筋トレでバルクアップした大胸筋という表現は存在している。ともすれば筋トレが全てを解決するような物腰を帯びてしまったが、本題にもどろう。

巨乳表現の規制は多くの反発を招き、地下に潜る可能性を増やすだろう、これは一般的に想定される悪いケースの1つだ。それでは巨乳をアイデンティティとして自己表現を確立した人の立場はどうなるのか、彼女らの自由に何かしらの悪影響はないだろうか?

この場合の良い解決策として真っ先に思い当たるのはコンテンツの消費者に「その表現では、現実では差別になりかねない」という事を教育することだろう、だがそれは十全ではないばかりか他者に依存した解決策といえる。そして、日本の性教育の実態へと話が変遷していくのだ。このような過程を通じて希釈された問題意識は限りなく0に近づき無限遠の彼方に去っていく。

我々は差別の当事者にならなければ学べないのだろうか。いやそんなことはない、今やヲタク文化は日本の一大産業になった。世界が注目する純国産のコンテンツは世界中で物議をかもしている。世界に目を向けよう。バストサイズの世界平均は幾つなのか?そのような物差しを用意して胸の大きさを画一化すべきなのか

それでその表現の需要が自然消滅するか、あるいは存続しているかはまた別の話

・・・まあ・・・そんな環境がいつまで経っても整わないからオタク界隈への周囲からの敵意は強くなる一方なんだけどね

ゾーニングすら拒否してたら、そりゃラディカルな方の反ポルノ派フェミニストも台頭するわ。かくして「異常な表現としての巨乳」は主張する者が用いるツールとなったのであった。