「ジェラシーはないの?」

つーたんのオタクぶりを知っている友達に「ジェラシーはないの?」と聞かれたことがある。

我が家と、そして私と関わる半径数メートルの人までも平和にしてくれる存在に嫉妬など滅相もない。なにより今回、推しへの愛と現実世界の愛は別物なんだとしっかり教えられた。

 


実は、私は今まで本格的に推し活をしたことがなかった。もちろん、心ときめく著名人はたくさんいた。堂本剛さん、ゆず、竹原ピストルさん、天童荒太さん、小林賢太郎さん、染谷将太さん。

共通しているのは、作品から強烈な才能や、自分の心の傷を投影したものを感じたりした方々だ。思想や哲学、芸術的センス、トラウマなど、強烈に共鳴したときに好きになる癖がある。あなたこそ、私が探し求めていたソウルメイトだわ、と。これは、相手が有名人だろうが、現実世界だろうが私にとって同じことだ。

察しのいい人なら、お気づきだろうが、「付き合いたい」と思ってしまうのだ。恥ずかしながら、私は痛いファンだ。ガチ恋勢という言葉があるが、「勢」という言葉で一括りにされたくないと思ってしまうほどに、痛い。対等でありたいと思っているので、活動を下支えしたいという思考回路にならないのだ。

とはいえ、私の場合は、まさか恋人になれるわけないと冷静さもあるので、作品はずっと好きだけど、人そのものを長期にわたって追いかけることはしない。だから、一途に推しに注視し続けている人の誠実さにリスペクトが止まらない。推し活をするには、持ち合わせている愛情の形が違うのだ。

推し活は、「独占欲」とは無縁だ。今こうして喜ばしい体験をみんなと共有している、そのことこそが喜びなのだから。だからこそ、その愛情が愛情を呼び、私がイベントで感じたホンワカが生まれるのだろう。

自分をポジティブに向かわせる体験への投資

私は推し活のスペシャリストとつがいになって、人として反省することばかりだ。それは、アーティストとファンについてのモラルに限ったことではない。

彼を見ていると、推し活が人格形成に影響を及ぼしているようにも見える。推しのコーディネートに注目してきたが故に、レディースファッションにも詳しい。推しのリリース日を把握する力は、私たちの記念日を忘れないというマメさにつながっているように思える。

なにより私にとって嬉しいことは、「芸能人だって1人の人間さ」という感覚を持っているところだ。たった1人の推しを良い時も悪い時も、深く長く愛してきたからこそ、慮る力が養われていったのでないかと思う。

ねるに推し活について聞いてみた。
「推している側は、生きるエネルギーをもらっているというが、結局は自らが生み出している力。自分をポジティブに向かわせる体験に投資をしている」。

私にも、熱量に程度の差はあるかもしれないが、応援してくれている人がいる(と信じている)。宇野ちゃんは夫の推しであり、勝手に共感する友達みたいに思っている。

直接交流する機会はあまり無いのだが、そういうときは、嬉しさとともに、幻滅させてしまったらどうしようという怖さも湧き上がる。みんなが思っている以上に、こちらもみんなの表情が気になってしょうがないのだ。だからこそ、推し推されは、ただの人と人との信頼関係なのだなと思うのだ。

推しが笑顔だと、こっちが嬉しいように、ファンが笑顔だとアーティスト側も嬉しい。幸せの連鎖は、たった1人、されど1人、あなた1人の力から始まっている。