「推し活」は、パートナーがいる者にとって心の浮気にあたるのか? ■宮脇咲良
我が人生のパートナー・長濱ねるは筋金入りのAAAオタクだ。
全ての楽曲を歌えるし、1周年記念ライブから参加していて、ライブDVDに収録されているMCを丸暗記しているほどだ。
中でも、メンバーカラーが紫の宇野実彩子さんが大好き。昨年、バラエティ番組で私と宇野ちゃんが共演した際は、「私の好きな人と好きな人が同じ空間にいるなんて!」と録画したものを、また丸暗記する勢いで繰り返し見ていた。
そのとき、宇野ちゃんからサイン入りCDをいただいた。ねるが、自身の大ファンだとは露知らず。彼女は、それをタンスの上に飾り、事あるごとに拝んだ。
「おはよう」「行ってきます」「かーたん(私)が体調悪いみたい」
それは私が帰省したとき、実家の仏壇で死んだおばあちゃんに語りかけるよりも熱い。我が家にとっては、神さま仏さまも同然の宇野ちゃん。必然的に彼女と一緒に私も「推し活」が始まった。
チケット争奪戦を勝ち抜き、ツアーライブも参加したし、バースデーイベントも予約した。
そんな矢先、ビッグニュースが飛び込んできた。
チケット予約したはずの、バースデーイベントのMCを私がやらないかとのお話だ。同じステージに立つイメージが湧かなかったが、話は順調に進み、やらせていただけることになった。私の分のチケットは彼女の幼馴染へ。
ねるの喜ぶ顔を想像したらワクワクが止まらなかった。私の本命の推しはねるなので、ねるにとって、パートナーと推しの共演、これ以上の貢ぎ物はない。最初はそんな風に思っていた。
これまで、さまざまなアイドルやアーティストの方々と一緒にお仕事させてもらうことがあったので、ファンとの関係性についてなんとなくわかっているつもりだった。
だが、実際にイベントで宇野ちゃんのファンの皆さんに会って、そしてオタクの夫を近くで見るなかで、「推し活」の素晴らしさや奥深さを再発見した。
「推し力」
推す人たちのモラルがすごい。会場内のルールを守るとか、行き帰りでゴミを出さないとか、常識の範囲内のことはもちろん、義理人情を大切にした行動原理に沿っている。今後のライブスケジュールや発売日を把握しておく、推しの色で統一してくるなどなど、細かいことをあげればキリがない。
アーティスト側の心情を汲み取って、喜んでくれそうなことは全力でする。なんとエンパシー能力の高いことだろう。総じて、このイベントには「推し力」が強い人たちが多い。私には、持ち合わせていない力なので、尊敬の念に堪えない。
「推し」と「恋愛」との大きな「違い」
「恋愛とは違って、推し活はいちいち傷ついたり、相手の顔色をうかがわずに済むから疲れない」という意見を聞いたことがある。
たしかにパッと見、双方向のコミニケーションがないように思われる。だけど、ファンたちはアーティストの作品や活動からパワーをもらっていて、その感謝を精一杯伝えようとしている。
曲やパフォーマンスから刺激をもらったことや、心が救われたことなどに対して、感謝を伝えようとする姿に、とても大切なことを学ばせてもらった気がする。もし私だったら、ただ私が感じただけのことだし、あんなに有名な人に私ひとりの声が届くはずはない、と思いを伝える努力はしないかもしれない。
よく考えると、それはまるで、「私ひとりの1票で日本は変わるわけない」と投票に行かないという理屈に近い気がする。1票が、政治を動かすし、推しひとりひとりの活動の上にアーティストが成り立っている。
それに応えるようにアーティスト側もどんどん進化していく。
返報性の原理に乗っとっているのだ。「返報性の原理」とは、相手に何かをしてもらったときにお返しをしなくては、と思う心理のこと。SNSなどで、自分の投稿に「いいね!」を押してくれた人には、なんとなくその人の投稿にも「いいね!」をお返ししたり、試食したらできるだけ買おうと思う、あのシュチュエーションが実例として挙げられる。
ステージ上と客席。特に、「宇野ちゃんへの質問コーナー」では、お返ししたい気持ちをお互いが投げあって、思いやりのキャッチボールが続いた。イベントは、たくさんの気づきをくれた。なにより会場は、我が推しがやることはなんでも可愛い・面白い無双状態で、優しい空気に包まれた。
愛が愛を産む「推し活の底力」
自分が関わっておきながら恐縮だが、イベントは大成功のうちに無事終了! 私も愛情のおこぼれをいただいたようで、心がほかほかした。そして、ねるはというと、なぜか、初めてのお使いをやってのけた子どものような、初めて夏休みにおばあちゃんちに1人で行って帰ってきたかのような、一皮剥けた表情をしていたのだ。
何がそうさせたのか、イベントは彼に自信すら与えている。1週間ずっと機嫌が良い。おかげで私も穏やかだ。私も機嫌が良いので、街でふらっと声を掛けてくれた人との立ち話が弾む。写真を撮る。仕事に行っても、現場でのアイドリングトークもどこか滑らかだ。
宇野ちゃんへの愛が、もしかしたら私の態度に影響を与え、より一層周囲に優しくなれるのかもしれない! 好感度アップにまで繋がりそうだ! なんという好循環。愛が愛を産む、推し活の底力を見た。
「ジェラシーはないの?」
ねるのオタクぶりを知っている友達に「ジェラシーはないの?」と聞かれたことがある。
我が家と、そして私と関わる半径数メートルの人までも平和にしてくれる存在に嫉妬など滅相もない。なにより今回、推しへの愛と現実世界の愛は別物なんだとしっかり教えられた。
「ジェラシーはないの?」
つーたんのオタクぶりを知っている友達に「ジェラシーはないの?」と聞かれたことがある。
我が家と、そして私と関わる半径数メートルの人までも平和にしてくれる存在に嫉妬など滅相もない。なにより今回、推しへの愛と現実世界の愛は別物なんだとしっかり教えられた。
実は、私は今まで本格的に推し活をしたことがなかった。もちろん、心ときめく著名人はたくさんいた。堂本剛さん、ゆず、竹原ピストルさん、天童荒太さん、小林賢太郎さん、染谷将太さん。
共通しているのは、作品から強烈な才能や、自分の心の傷を投影したものを感じたりした方々だ。思想や哲学、芸術的センス、トラウマなど、強烈に共鳴したときに好きになる癖がある。あなたこそ、私が探し求めていたソウルメイトだわ、と。これは、相手が有名人だろうが、現実世界だろうが私にとって同じことだ。
察しのいい人なら、お気づきだろうが、「付き合いたい」と思ってしまうのだ。恥ずかしながら、私は痛いファンだ。ガチ恋勢という言葉があるが、「勢」という言葉で一括りにされたくないと思ってしまうほどに、痛い。対等でありたいと思っているので、活動を下支えしたいという思考回路にならないのだ。
とはいえ、私の場合は、まさか恋人になれるわけないと冷静さもあるので、作品はずっと好きだけど、人そのものを長期にわたって追いかけることはしない。だから、一途に推しに注視し続けている人の誠実さにリスペクトが止まらない。推し活をするには、持ち合わせている愛情の形が違うのだ。
推し活は、「独占欲」とは無縁だ。今こうして喜ばしい体験をみんなと共有している、そのことこそが喜びなのだから。だからこそ、その愛情が愛情を呼び、私がイベントで感じたホンワカが生まれるのだろう。
自分をポジティブに向かわせる体験への投資
私は推し活のスペシャリストとつがいになって、人として反省することばかりだ。それは、アーティストとファンについてのモラルに限ったことではない。
彼を見ていると、推し活が人格形成に影響を及ぼしているようにも見える。推しのコーディネートに注目してきたが故に、レディースファッションにも詳しい。推しのリリース日を把握する力は、私たちの記念日を忘れないというマメさにつながっているように思える。
なにより私にとって嬉しいことは、「芸能人だって1人の人間さ」という感覚を持っているところだ。たった1人の推しを良い時も悪い時も、深く長く愛してきたからこそ、慮る力が養われていったのでないかと思う。
ねるに推し活について聞いてみた。
「推している側は、生きるエネルギーをもらっているというが、結局は自らが生み出している力。自分をポジティブに向かわせる体験に投資をしている」。
私にも、熱量に程度の差はあるかもしれないが、応援してくれている人がいる(と信じている)。宇野ちゃんは夫の推しであり、勝手に共感する友達みたいに思っている。
直接交流する機会はあまり無いのだが、そういうときは、嬉しさとともに、幻滅させてしまったらどうしようという怖さも湧き上がる。みんなが思っている以上に、こちらもみんなの表情が気になってしょうがないのだ。だからこそ、推し推されは、ただの人と人との信頼関係なのだなと思うのだ。
推しが笑顔だと、こっちが嬉しいように、ファンが笑顔だとアーティスト側も嬉しい。幸せの連鎖は、たった1人、されど1人、あなた1人の力から始まっている。