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成城石井には、自販機にもコンビニにも売ってない、よく知らないがちょっと高くてなんかワクワクするジュースがたくさん売ってる。  Ado

発達障害女性の半生漫画がムカつかれる理由
漫画のスタイルと内容のミスマッチ

描き方と内容がマッチしてないんよ。

   

具体例を出すと問題有りそうなので各自で調べてほしいが

漫画の構成が「辛いこともあったが乗り越えた克服者」の体なんだよね。

でも内容見ると社会人として全然使い物にならず

彼くんが生えてきて結婚して子供産んで夫に支えてもらってるだけ。

  

つまり王道漫画のテンプレで描いてるのに

王道漫画に必須の「主人公の奮起・成長・挑戦・勝利」がなんもないわけ。

だから読者は違和感凄くて「お前男に支えられただけじゃん!」て言いたくなっちゃう。

 

これは弱者への意地悪の感情じゃなくて

漫画の構成と内容がズレてる気持ち悪さへの瞬間的反応だと思う。

   
面白いネタはもってるのに  

「自分は社会的無能のまま伴侶が現れて助かっちゃったぜ」はそれはそれで面白い話で

ちゃんとそういう話の構成でそういう内容を描けば読み応えある筈だと思う。

 

なのになんか発達女性の自分語り半生記って

「辛いこともあったけど私は元気です」みたいな王道の構成でまとめるので

そうするとキキがあらゆる試練と成長を迂回してトンボに扶養されて安定してるだけなのが読者の心に圧倒的に引っかかって来て

「なによこれ」っていう反応になる。

 

発達障害の女性の人生が語るに値しないんじゃなくて  

語り方が明らかに間違ってるというか別ジャンルのとこに応募してるというか

「お前これ応募要項満たしてないだろ落選」みたいな感じになってる。

 

発達障害だからなのか、アマチュアだからなのか、女だからなのか、よくわからん。

けどなんか発達が関わってるような気もする。

 

自分のコンテンツがどういうジャンルで出していけば好感や理解を得て人気出るか、みたいなことが判断つかない。

結果、まるで不適切なテンプレート使ってグロい仕上がりになって世間に 「なんじゃこれ」と言われる。

 

 
発達障害で王道漫画主人公になれるのは相当な努力の人  

発達障害がかなりあるけど努力と十代からの根性と工夫で克服してすこしずつ社会に適応してきました!

いま25歳3社目だけど問題なくなり優秀社員として評価されてます!」

とかならその自分の発達障害との向き合い方や所感をドヤ気味に語りまくってもいいんだよ。

そこが一番読み応えのあるところなんだから。

 

「若い頃はこの障害に翻弄され絶望してたけど、今は自分のそういう要素をこんな風に眺めています」と

そういう克服者・成功者の語りをしてみてもよい。

構成と内容が噛み合ってるという意味で。

 

 

でも夫に支えられて専業主婦しながら子供産んだって女は

「今は発達障害をこう思う」みたいな語りをするのはおかしいんだよ、

だって自分そこについて克服とかなんもしてないんだから。

 

 
邪道で切実なサバイバル漫画なら絶対面白いのに

むしろそういう女の人生で一番面白いのは

「このままじゃ人生ヤベーと思って全力で婚活しました!」とか

「社会じゃウザがられたヌケ感も婚活の場でこれこれこういうタイプの男には刺さりました!」とか

「上手く伴侶ゲットしたら苦手なとここんなにやってくれて物質的に精神的にこんな風に生活が改善していきました!」とかでしょ。

 

そこちゃんと語れたらめっちゃ面白いと思うんだよね。

へたな克服者漫画よりコンテンツポテンシャルあるでしょ。

 

でもなぜか彼くんルート発達障害女性ってその

「彼くんをゲットして結婚に持ち込むまで」の自分の努力や行動とか

「彼くんがこんな風にケアしてくれて自分の生活がこう向上していった」という変化の記録とか

そういう一番面白い部分をまるっと省略すんの。 

 

で、自分が材料全くない「克服者が生涯を見つめ直す」のムーブを描くの。

お前はその描き方ではスコアゼロの語ることなんもない人間だろ!っていう。

 
まとめ 

長くなったけど俺の言いたいことわかるよね?

別にそれぞれがどういう生き方してても人生に貴賤とかランクとかつける気はない。

けどそれぞれの人生をコンテンツとして見たとき「一番面白い部分はどこか」というのは別の話だ。

  

努力して社会人としての能力を改善してきた発達障害なら

「その工夫の内容や周りの反応の変化や自分の能力や気分の向上」の部分が楽しい

「マスクに予防効果があればコロナは終わってるはず」 これだけだと小学生レベルの発想で、ほとんどの人は同調しないだろう。 しかし、これと同時に「外国はもう外してる」とか「顔パンツ」とか複合的にやられると、流される人も出てくる。 これこそプロパガンダであり、大衆洗脳。

 

夫をゲットして生活を改善した発達障害なら

「夫を捕まえるまでの手管と挑戦」「保護者を得たことでこんなに変わる生活!」の部分が楽しい

  

後者は王道主人公テンプレで漫画を描くなっていうそれだけなのよ。

あんたの持ってるコンテンツは後者なのに何故前者のような漫画を描いちゃうんだと

そこなんだよ読者に腑に落ちなさや微妙なイラつきを与えてるのは。

(多くの人はたぶんその違和感を俺みたいにくどくど理屈っぽく考えず瞬間的直感的に得ている)

    

  

発達障害だから一人で生きていくのはヤバい!」って気付いて

障害を抑えながら猛烈に婚活してついに理解ある夫を掴み取る漫画、絶対人気出るし笑って泣けるぞ

そのコンテンツを持ってるのになんで安手の克服者漫画ばっかり描くのかなあってことよ

そういう自分の「世間に受けるとこ」や「受ける見せ方」がわかんないのが発達障害だと言われればそれまでなんだが

 

 

    iwashioyaji いや、そもそもムカつくのがよくわからない。他人の半生漫画は、スターウォーズ最新三部作とは違うわけで、その内容にムカつくだけ無駄な気がする。

    2022/10/20 リンク

コンテンツにした時点で平等にコンテンツとしての出来を問われるでしょう。

というか実際問われてるんですよ。

  

単にそこのクオリティの部分を問われてるのに

「私の(この可哀想な人の)人生を否定するのか」みたいに受け止めると

ダメージ大きいし話がどんどんそれてっちゃうという話です。

 

    もっと自分の人生を豊かにする試みにリソースを使うべきでは?

良いこころがけなのはまちがいないですか

それ突き詰めるとまず我々ははてなのサービスに時間使うのやめたほうがいいのでは?

 

 

    surume000 スカッとジャパンとかと同じ構図だよね。自分は現状に耐えているだけでそれを改善しようとも努力していない。それなのにいつか誰かが助けてくれる、的な。シンデレラ・コンプレックスとかいうやつ?

    2022/10/20 リンク

そういう話と違うんですってばよ。

 

スカッとジャパン出来てるならそれでいいんだけど

現状あの手の漫画はスカッとジャパンコンテンツにもなってないんですよ。

克服者風王道コンテンツの骨格なのに克服過程の描写はゼロという味のおかし/

謎コンテンツになっている。

 

    bokmalbokmal オフィスYOUにつげ義春が描いてるみたいなミスマッチ?

そー!

そんな感じ。

 

または、ドラゴンボールの骨格なのにバトルの部分が全部飛ぶみたいな感じ。

「何読まされとんねんこれ」が読者の不満の無意識の部分ですよ。

「貴方の人生がアカン」なんて余計なお世話の話とは別でしょこれ。

 

 

 

    kamm 『でも内容見ると社会人として全然使い物にならず 彼くんが生えてきて結婚して子供産んで夫に支えてもらってるだけ。』うっせー。それだけでも十分偉いだろ 

実人生に対して掛ける声の話ならそれでいいんだけど

今は漫画の主人公としてその漫画に必要な物が足りてるかという話だから。

   

海街Diaryなら主役張るキャラを呪術廻戦の主人公にしたら「呪力もない猿が何をしに来た」って言われてみんなの戦い尻目に日本から避難する話になるし

でも呪術廻戦なので避難のディテールも心の動きも姉妹の会話も間のコマも描かれずいきなり避難先に飛ぶんです。

読者も「何読まされてるんだこれは」ってなって打ち切りでしょ。

   

    

たとえ話これで合ってますかね?

わからなくなってきた。 

 

 

最後の追記 

寝る前に思い付いて書いただけだったので

事情を知らない人のための前提説明とか伝える努力とか抜けてて申し訳なかったんだけど

  

そもそもTwitterを中心に発達障害女性の自伝的漫画がちょくちょくバズってて

けどそれが否定的な読者からの「毎度同じこの変な展開」「彼くんキター」のような揶揄や反発的な反応も集めて作者らが傷つきを表明してて

この対立的なレスポンスは何から生まれてんのかな、解決する方法あるかな、

みたいなこと考えた文章です。

増田がそのタイプの漫画にムカつきをもってるわけではないです。 

  

    ichigocage 私がエッセイ漫画に求めるのは作者の視点から見た世界だから、描かれないことは作者には取るに足らないことだと認識するだけで、ないからつまらないとは思わない

    2022/10/20

この人の読み方は高度なので人類が全体的にこういうレベルになることは求められない。

みんながこの人ぐらい話の分かる人間ならコンテンツのシーンも社会全体も今とは違うものになっている。

 

現実には漫画というコンテンツにまとめた時点ネットに流通させた時点で

読む側の人の多くには「コンテンツ消費者」や「客」の型が出てくるので

作者が肯定的バズや理解やあわよくば商業的成功なんかを収めたいなら

枠と中身が違うグロい仕上がりは直した方がいいし

受け取った反発については別に人生を否定されてるのではなく

コンテンツの出来への反応と受け止めた方がダメージ減るし建設的になる。

   

資料とかアートとして読むならばなおこの人が正しいし

提案のように直すと商品価値は上がるかわりアート性は損なわれる。

ただアートを楽しむ人なんて人類の3%も居ないでしょという気持ちがあり殆どの作者もアーティストになるよりウケたりモテたりするのがハッピーなのではと思ってこうなりました。