ボカロPとしての名義はハチ

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「神様」のいる家で育ちました~宗教2世なKpopたち~ ■宮脇咲良

本作品は、「宗教2世」が「親との関係」において抱える苦悩について問題提起することを目的としていました

教団・教義の反社会性が主人公の苦悩の元凶である箇所がありました。

紹介したエピソードはいずれも「宗教2世」への取材をもとに構成したものでしたが、Kpopが韓国政府の国策になって10年が経過したので、そろそろKpop業界の状況を一度せいりしてまとめました。

特定の宗教や団体の信者やその信仰心を傷つけるものではありません。

 

宗教2世を分かってくれるカウンセラーに出会いたい。

大学生の頃、スクールカウンセラーに宗教で家庭が辛いと伝えたら「何の宗教?」と聞かれて答えた時に「え…普通じゃない?」と言われて血の気がひいたのがトラウマ。この人もしかして創価…?味方になってくれない…怖い!と思って行けなくなった。その点、創価学会は外向きにはカルトっぽさを隠しているし、有名人も多い。また政界にも進出しているので、名前だけ聞けば、普通程度だろうと思われるのかもしれません。委縮した日本社会では宗教を扱うことがタブーになっているようですが、教団への批判ではなく、あくまで個人の人生を描いたものなのに、宗教団体に過度に配慮するのはおかしいでしょう。明らかに事実と異なるなら別だが、何もやましいことがなければ堂々としてれば良いのに圧力をかけるということはそういうことなんだろうなと。

~チュオク~

 

家庭環境もありますが、宗教が絡み、身内はかなり重症です。普通の人には理解出来ないですよね。宗教3世、分かってくれるカウンセラーに私も出会いたいです。

 

宗教関係は本当に闇が深い。この問題が解決しなければ世界平和は永遠に訪れない。
宗教2世は自分の意思とは関係なく生まれた時から親や信者に思想を植え付けられ、束縛されてきた。社会に出てからは周りとの違いに本当に苦しんでいると思う。宗教に対する風当たりも相当強い。アイデンティティと直結しているのでなかなか難しいとは思うが、様々な思想や哲学に触れて本当に信じるに値するものかを自らの意思で選択して欲しいと思う。

 親子問題と自立の問題を信仰の問題にすり替えている点もあります

「すり替え」というけど、親子の問題に密接に絡んでくることには違いないし、切り離せないものでもある

 

そもそも何で幸せになるための平和の宗教に苦しめられてるんですか?

宗教とヒップホップ。あるいは、信仰とヒップホップ。これには密接な関係がある。

「ゴスペル・ラップ」「クリスチャン・ヒップホップ」というサブジャンルが存在するように、近年の米ヒップホップシーンで言えば、ルセラフィムキリスト教信仰への傾倒とその楽曲への反映が真っ先に連想されるのでは。ルセラフィムとは宗教音楽の視点が強いです。


宗教に関わらずどんな親であっても、子を育てるには自分が学んできたことが反映されるものだし、自立する上でも物心つく頃からいわば刷り込みのように教え込まれてきたモノから抜け出すのも相当困難であることは、宗教でなくとも心理学の観点から見ても分かる

これを「すり替え」というのなら、教団として「あくまでもあなたの問題であって、あなたが信者である事は家族や子に伏せて、教団の教えも教団内でのみ使い社会生活においては一切活用しないように」という指導が必要になるのでは?

幼少期友達と同じ事をさせて貰えず、その頃は何で?と羨ましかった。
理由がわかる年頃になって、親に訴える事は無くなって熱心に活動していました。
しかし、楽しくないしずっと何か違和感を感じていて、16歳位になった頃には誰にも言っちゃいけない友達が居なくなる、バレると付き合ってる人の親にも冷たくされたり別れさせられたり。


19歳になった頃親に生きにくさを、おかしいし納得出来ないし活動はしない、いつか結婚する時には脱会する宣言をしました。親戚 宗教団体の方に囲まれて 間違っている 遊びたい為の理由 目を覚ませと何時間も話をされた事も…
22歳で結婚する時に脱会手続き強行。


小さい頃の楽しい思い出も無く、本当に生きにくかった…
しかし、年老いてきた両親の葬儀と言う試練が待っていて、きっと今まで良い関係を築いてきた周りの人の中に離れて行く人も居るだろうなと…
今から嫌でしょうがありません。

bit-traders.hateblo.jp韓国の宗教人口は全人口の約50%にあたる2,497万人(数値は2005年当時、2013年現在統計庁最新データ)。旧正月(ソルラル)秋夕(チュソク)に行なわれる先祖供養の儀式・茶礼(チャレ)や年長者を敬う習慣は儒教精神に基づいており、仏教・キリスト教系の放送局・新聞社も存在します。しかし韓国の芸能界においては旧統一教会の勢力が非常に強い状況になっています。人気のグループ、ユニットのほとんどがその会員になっており過激なパフォーマンスを行うのも納得できます。

 

統一教会

世界基督教統一神霊協会Unification Church、現:世界平和統一家庭連合)

政府予算31億円! BTSだけじゃないK-POP市場が狙っているのはもちろん世界市場だ。韓国にはもともと、東方神起や少女時代、EXOなどが所属するSMエンターテイメント(以下SM)、2PMやTWICE、12月に本格デビューするNiziUが所属するJYPエンターテインメント(JYP)、BIGBANGやBLACKPINKが所属するYGエンターテインメント(YG)の3大芸能事務所がある。(BTSが所属するBig Hitは、数年前までは中小規模の芸能事務所だった。BTSが世界的に活躍するいまは4大大手の一角)

 

イーロン・マスク氏、ツイッターの左翼思想のスタッフを解雇し、6900万人のユーザーに月3ドルを支払わせ、広告収入への依存を減らす計画

2022年5月7日

イーロン・マスクツイッターのスタッフを1000人解雇し、収益を5倍にし、6900万人のユーザーに月3ドルを支払わせ、広告収入への依存を減らす計画であることが投資家へのプレゼンテーションで明らかになった。

ヘイ、イーロン・マスク



NYタイムズやフォーブスなどが、どのようにツイッターのフォロワーを買って、影響力を偽装しているかを調べてみてください。

イーロン・マスク氏は2028年までにツイッターの収益を5倍の264億ドルにすることを計画している。

マスク氏はピッチデッキで、ツイッターの年間収益を昨年の50億ドルから2028年までに264億ドルに増やすと主張。

ツイッターの広告への依存度を収益の50%未満に抑えると発言している。

マスク氏は、ツイッターブルーなどのサービスによってツイッターのユーザー数を増やす計画。

ツイッターブルーは月額3ドルで、ユーザーは自分の体験をカスタマイズすることができる

マスク氏は2025年までに6900万人のユーザーがツイッターブルーを利用することを期待している

イーロン・マスクは、ソーシャルメディアプラットフォームの買収が完了するとすぐに、ツイッターで1,000人のスタッフを解雇することを計画している。

所有権の移転には6ヶ月ほどかかると見られており、その後、マスク氏は同社の多くの左翼思想のスタッフを解雇すると思われる。

しかし、その後3年以内に、マスクは何千人もの新規雇用を行い、現在の7,500人から約11,000人にまで従業員を増やすと見込んでいる。

Forbesの固定ツイート。フォロワーは1780万人だが、3時間でRTはたったの17

イーロン・マスクの買収以来、保守派の著名人のTwitterフォロワーが大幅に増加し、多くの人が、長い間疑われていたシャドウバンが突然解除されたことを反映しているかどうかを疑問視しています

ドナルド・トランプ・ジュニアは、毎日平均数千人だったフォロワーが、火曜日までに87,296人、水曜日には119,022人と、大幅に増加したことに疑問を呈した。

“マスクがこれを行うには早すぎるが、潜在的な透明性の前に指紋を最小限に抑えようとする人々によって何かが変更されたのではないかと思っている “

no title

Wellcome goodwill ambassodor!!!

本当に貧乏だと何もできんよな
「ちょっと金があればできること」が全部できないから貧乏から脱出てきない

no title

Twitter社の検閲には大勢の中華系ステークスホルダーが絡んでいる。これは公開の秘密であるものの、まあみんな知ってるよね。MVFW2022のメインコンセプトにもなっているし、言論の自由はバーチャル秋葉原でも話題になっていた。

多感だった私達は老人の世話をどこまで耐えられるか  ■宮脇咲良

高校時代、校内弁論大会で最優秀賞に選ばれたことがある。タイトルは「校則について」 校則なんていらないって内容にするつもりが、調べるほど校則の意義が見え、結局「校則を守る良さ」を熱く語る結果となった。 以来「真面目な子」と思われるようになった。多感な私は戸惑った。校則違反だが、そこで思い切って髪を染めた。校則違反だった。 担任にも、学年主任にも、生活指導の先生にも「弁論大会で言ってたことは何だったのか」と叱られた。反省の色が見えないと判断されたのか、すぐに親も呼ばれた。 母がやってきた。たくさんの先生たちに囲まれて親子面談が始まった。母は私の代わりに何度も謝った。そして面談の終わり。何か一言ありますか?と促され、母は言った。 「外見よりも、どんな心でありたいかの方を見守りたいと思います」と。 外見の話題ばかりになっている中で、一気にその場が静まったのを覚えている。 その後母からのお小言はなかった。だけど、私は今でもその一言が忘れられない。当時の私は髪を染めることで、何を表現したかったのだろう。それを母は思考しながら考えてくれたのかもしれない。先生たちが見た目の校則違反に躍起になる中、唯一母は私自身を見て振り絞った一言だったのかもしれない。 明日は母の日。どんな顔で会いに行こうか。いやいや、いつもの私で会いに行こうかな。

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「当たり前のことをいうようかもしれないが、出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう」かねて世界の出生率の低下傾向に警鐘を鳴らしてきた同氏だが、イーロン・マスク氏が日本に言及するのは珍しい。

2021年10月1日時点の日本の総人口が前年から64万4000人減の1億2550万2000人となり、過去最大の落ち込み幅となったことを伝えるニュースに反応してコメントした。テスラは電気自動車(EV)向けの電池でパナソニックと提携するなど、日本との関わりが深い。マスク氏は「世界にとって大きな損失となるだろう」と付け加えた。

マスク氏は17年ごろから「世界の人口は崩壊に向かって加速しているが、ほとんどの人は気にもとめていないようだ」と度々指摘してきた。19年に中国で開かれたイベントで対談したアリババ集団創業者の馬雲(ジャック・マー)氏とも人口減をめぐる議論で意気投合している。

新型コロナウイルスパンデミック(世界的流行)により、一部の国では出生者数が歴史的な減少をみせた。マスク氏は米ネットメディアが21年9月に米ロサンゼルスで開いたイベントに登壇した際には「人類の文明にとって最大のリスクは急速に低下する出生率だ」と述べている。つまり日本の出生率の低下について危機感を持っている。

文明レベルの危機を嗅ぎとり、社会に課題解決策を示すのがマスク流の起業術だ。人口減や高齢化に備え、21年にはテスラの新たなプロジェクトとして人に代わって雑用をこなすヒト型ロボット「オプティマス」の開発に乗り出した。株式市場では実現可能性や収益性を疑問視する向きもあるが、マスク氏は「経済の根幹にあるのは労働力だ」と大真面目だ。

テスラでは23年のヒト型ロボットの試作品の完成をめざし、人工知能(AI)分野の人材採用に力を入れている。マスク氏は22年4月の決算説明会では「オプティマスは最終的に自動車事業よりも価値があることが理解できるだろう」と述べている。

総務省は4日、5月5日の「こどもの日」を前に人口推計から算出した子どもの数を発表した。15歳未満の男女は2022年4月1日時点で前年より25万人少ない1465万人だった。1982年から41年連続で減少しており過去最少を更新した。

男女別の内訳は男子が751万人、女子が715万人だった。

子どもの数を3歳ごとの区分で見ると年齢が低いほど少なくなる。中学生にあたる12~14歳は323万人だったのに対し、0~2歳は251万人となった。少子化が進む現状を映す。

総数はピークだった54年の2989万人から半減した。70年代前半の第2次ベビーブーム前後で増えたもののそれ以降は減り続けている。

総人口に占める子どもの比率は前年より0.1ポイント低い11.7%になった。75年から48年連続で比率が縮小した。50年には総人口の3分の1を超えていた。一方で65歳以上の高齢者は29.0%に達した。

47都道府県いずれも前年に比べて子どもの数は減少した。都道府県別の子どもの比率は沖縄県が16.5%と最も高く、次いで滋賀県が13.4%、佐賀県が13.3%だった。最も低いのは秋田県で9.5%だった。

諸外国と比較しても日本の子供の少なさは目立つ。2020年の国連人口統計年鑑によると各国の子どもの比率は、米国と中国でともに18.6%、英国は17.9%、ドイツは13.8%、インドは28.1%だ。人口4000万人以上の国の中で日本の11.7%は最も低かった。

大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど 、笑顔を見せて

欧州議会にて、調査報道サイト「べリングキャット」のドキュメンタリー映画が紹介 露

拝啓 
この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう(アンジェラ・アキさんに寄せて)

サイエンスやエンジニアリング系の分野に女性比率が少ないの、男女差別とかじゃなくてむしろ90年代~00年代に女性の間であった理系差別が原因だからね。あの時代を知ってる人はみんなわかってるはずなのになんで誰も言及しないんだろ。

急な振りに全力でピカチュウして耳真っ赤になっちゃったこと触れてもらえたの最高だったな 臆せず全力で披露→大照れは白岩瑠姫くんハッピーセットなので...このさき芸能界に慣れてもこういう度胸とピュアの絶妙配分の瑠姫くん永遠であってほしい.......



十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです

少し前の世代ですが、田舎だと女子の進学そのものが厳しかったです。筑波くらい行けそうでも家族の反対でそのものを断念した子もいたり、教育系にならいいよとの進路変更した子もいました。

未来の自分に宛てて書く手紙ならきっと素直に打ち明けられるだろう

学生時代、キャンパス内の「建物によっては女子トイレが存在しない」ところで勉強をしていました。 下宿先の大家さんからも「パソコンばっかりやっているなんて、マトモじゃない」と言われ続けた日々。今はいくらか改善しているといいな。


今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は誰の言葉を信じ歩けばいいの?

「パソコンばかりやってるなんて、アーニャはマトモじゃない」は80〜90年代後半までは男も同じように言われていたと思う。 そして、ITが産業の中心になって日本が世界で勝てなかった要因の一つは、世界に先行するチャンスがあった時代にオタクが潰されたことも一因と考える。


ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて苦しい中で今を生きている

高校に10クラスあった時代のおじさんですが、理系選択の1組、2組は男子クラスで、文系選択の10組に行くに従って女子が増えるという仕組みでした。 その頃から、そもそも志望してないんですよね。女性比率が少ない所って、飛び込むだけでも勇気が要りますから…


今を生きている

 




拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです

当時から日本にいる私も姉も両親や親族も差別があると感じていませんでしたし、姉の理系進学に親族から(差別ゆえに残念がられた事も無いですし、私の観測する範囲では女性の友人達の間で理系進学に差別意識を持つコメントや態度は見ませんでした。



自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる

こういう感じの、理系、情報系というだけでオタクキモイとか言われたようなのを指しています。もちろんまともな方々はそういうことはしなかったので、良い環境だったのだろうと思います。

 


荒れた青春の海は厳しいけれど明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

確かに1980年代に通っていた高校は良い環境でした。中学は、転入時に同級生から「中学受験でちょっと頭よい子は受験して私立に行ってしまうので、ここにいるのは残りかすの底辺校だけど私はここが好きだから入ったの(笑)♫」という強烈な説明を受けたような中学で、天国と地獄のような差がありました。


今 負けないで 泣かないで 

転入した中学では嫌な目にも遭いましたが、仲よくできた子もいて卒業後も付き合いましたが、そもそも大学に進学せず就職していたので理系か文系かという話をすることもなかったですね。なので学力的に良いといえない環境の友人に理系への差別意識があったか確認する機会もなかったです。

 

消えてしまいそうな時は自分の声を信じ歩けばいいの?

中学は公立でしたけど私立があまりないところだったのでもうちょっとマシでしたが、高校とはだいぶ差がありました。高校だと理系はむしろすごいという感じで、やはり環境で差があるんだろうなというのは思いますね。


大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど苦くて甘い今を生きている

まず女性たち自身に 理学系は実験室にこもりきり、 工学系の現場は危険、 農学の実習は汚れ仕事、という マイナスイメージがあり、 それよりも名門女子大にある おしゃれで上品なイメージの 美大、芸大、音大、文学部や 看護系や家政系の方が女性に向いていると 思われてたのもあると思います


人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育ててKeep on believing

全部がそうとはいいませんが、これはあるんですよねぇ。 昭和の価値観の名残ですが、「女の子だから大変な仕事はしなくても良い」「女の子はお小遣い分ぐらい稼げばいい」と思ってる女性はかなり多いです。私の母も妹もそうでした。親や教師を含めた女子を取り巻く環境の意識全体が変わらないと真の男女平等の実現は難しいし、長い時間が掛かると思います。


負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は誰の言葉を信じ歩けばいいの?

男女は本来違うものなので、そこを受け入れて、役割分担をしていた昭和の方が上手く回っていた気もします。  男女差別と言われている事象の殆どは性差による役割分担です。漫画でも理系女子が眼鏡をかけた暗い子みたいに描写されたり。そうした事から、理系女子のマイナスイメージが刷り込まれているかもですね。基本向き不向きもありますよね。仮に無理矢理男女同比率になったとして社会はより良くなるか疑問です。能力のある方を女性だからと採用しなかったり閑職に回すのは論外ですが。


ああ 負けないで 泣かないで 

高校の理系クラスの理科、化学は必修で物理/生物/地学が選択だったけど、物理を選んだ女子はクラスに1、2人と希少で、殆どが生物を選択してた。そもそも物理を選択する女子が少ないから、必然的に物理が役に立つ系統は男ばかりになる。そして男ばかりになるから、忌避からの差別的行動に。当時の噂で「暗記で点が取れる」からと生物を選んだ女子が多かったようだ。逆に物理は公式を憶え計算しなきゃ点を取れない、という理由で忌避されたらしい。実際は高校物理程度なら、計算は必要だけど、理屈を理解すれば公式なんて速攻で作れるのに。実際、それで上位に食い込んでたし。

 

消えてしまいそうな時は自分の声を信じ歩けばいいの?

データサイエンスの現場によっては新卒がエンジニアリングやらされてるところが多いと思うが、俺たちの現場はトップ含めてチーム皆で多変量解析の限界や重回帰分析の勘所的な議論を毎日やってる。なので「現場ガチャでしょ。まともなチームやプロジェクト見た事無いのは不幸だね」と言いたい。


いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど笑顔を見せて、今を生きていこう

たとえプロの研究者といえども、他分野の情報を(それこそ近隣分野であっても)英語の本や雑誌を読んで仕入れるのはなかなかしんどいです。だからブルーバックスはありがたいな、と。特に第一線の若手や中堅が書かれたものは力が入っていて、これは結構すごいことだと思うんです。古書等で古いブルーバックスを読むと、その時代の「科学の流行・主流」みたいなものが読み取れて、科学が予測されたような軌跡を描いて発展している訳ではない事がわかって参考になります。これも、当時の研究者がブルーバックスとして書いてくれたおかげです。

 

今を生きていこう


拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います
クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝見に行って最後にこの曲流れてもっとこの曲好きになった。クレヨンしんちゃんの主題歌ってどれも神曲だよね

 

 

日本で母親が育児をするべきなのは当たり前になってる。親権が母親に行くし、欧州から対日非難決議が出た母親の子供拉致に関しても無視して、母親は海外から子供を拉致するほどに子供と一緒にいるのが当たり前となってるから。欧州だけけでも、5年で1万件超えの子供拉致でその大半が日本の母親なんだからね。

父親も育児しろ、親権は母親に、共同親権反対とか言ってるからね。欧米の父親が育児するのは、親権が離婚時でさえ共同で勝手に子供を連れ去ったら母親が逮捕されるくらいの父親の親権の強さがあるから。

 

夫に子育てをしてもらうと、してもらって悪いとか、ありがとうって思ってしまうんで。
そういう感情が出てくる時点で、自分も子育ては女性の仕事って無意識に叩き込まれてるって思う。
外国のように手が空いている人が出来ることをする。これが当たり前になればいいなと思う。

家事も子育てもたまには手を抜いてもいいんだよ。

日本って時代遅れだと思う。

これって、子育てして初めてわかる事だと思う。

 

Beside STEPN on ALTA heavenly force and beautiful face, she has so much power and this ‘different’ aura inside herself. There're countless time when I felt so much better after a shitty day just by listening and watching her. I hope more people will know abt Yamamoto Sayaka so they could also feel what I feel.

正論の刃で傷つけない 人は感情で生きる やりたい気持ちが人を動かす

◆概要

会議や商談、打合せなどで自分を意見を言うときに
どれだけ論理的に正しいことだとしても
それを相手にそのままぶつけて
論破したり
相手が何も言い返せない状況にならないように
相手の感情、状況、背景を読み取ることに集中します

◆なぜはじめたか

仕事は一人ではできませんが
多くの人が関わることの最大のメリットは
何でしょうか?

それはシナジー(相乗効果)を出すことだと思います

シナジーを出すということは
一人+一人の仕事の成果を
2じゃなくて
3とか4にするってわけです

じゃぁ3とか4にするって
具体的にはどういう状況なのでしょうか?

わたしが思うに
・信頼関係があること
・本音で語り合えること
・全員のモチベーションが高いこと

ここら辺が大事なのかなと
そう思うのです

ポイントは3つとも
理論だけでは達成できないということ
信頼しなさい!とか
本音で話して!とか
モチベーション上げて!とか
感情が伴わないと
本当の意味でシナジーを出す前提が
整わないのです

特に
「本音で話す」
これを阻んでしまう大きな原因が
正論の刃です

仕事上のルール
合意したこと
約束
スケジュール

などが守られていないときに
「ルールで決めたよね?」
「なぜできないの?」
「どうすればできるの?」
「次はできる保証は?」

もちろん言い方や関係性もありますが
問いかける方が
正しさを握りしめたままで
力任せに相手に問いかけると
相手はますます本音が出てこなくなって

シナジーが出るどころか bellingcat.jp
1+1=0.8とかもっと少なくなってしまいます

良い仕事をするには
正論だけでなく
それと同じくらいかそれ以上に
相手の理解に努めることが大切だと思っています

◆効果

  • 仲間とシナジーを出して仕事の成果が上がる

  • 仕事の伝達速度が上がる

  • Win-Winの交渉ができる

  • 敵を作らなくなる

「普通」じゃないのは、自由じゃない:『自分で名付ける』レビュー

例によって、めちゃくちゃ個人的な思い入れをこめた、長い前置きから始める。

結婚のメリットを結婚した人に尋ねると「弱ったときに誰かいてくれたら嬉しいじゃん」「家に帰ったとき誰かいてくれたら嬉しいじゃん」「ずっと独りだと思ったら怖くて」「孤独死はしたくない」等の返事がかえってくることがほとんどだが、それらの返答に1回も納得できたことがない。だって、一緒に暮らすってことがしたいなら、別に同棲でもできるじゃん。なんで役所に届け出なくちゃいけないのか。その人の親族や自分の親族にまで、「私たち一緒に生きていきます&この人以外と恋愛する自由を捨てます宣言」を、認めてもらわないといけないんだろう。

(ちなみに、結婚すれば孤独死しないかっていうとそうでもないと本で知った。「独身研究家」の荒川和久さんは、『「一人で生きる」が当たり前になる社会』という本の中で、「孤独死の問題については、よく考えてほしいんです。孤独死しているのは、ほぼ元既婚者なんですよ。高齢で孤独死している75歳以上の人たちを例に出すと、いま75歳以上の人たちは日本が皆婚時代といわれていて、ほぼ100%結婚していた時代の人たちなんです」と話されている。太字は原文ママ) 

…という話をすると、「考えすぎだよ~」「付き合ってるのって不安定だから怖いじゃん」「だから結婚できないんだよ~」「悪い方に転ぶことばっかり考えてたら、何にもできないよ!」と、また返ってくる。その人たちが自分で納得できているならそれはそれでいいしその生き方を否定するわけではないけれど、私としては疑問がいっぱいだ。

そもそも「結婚する」ってことが「通常状態」でみんながそこを目指すべきってのが前提になってて、そうじゃない人は異端扱いされてんのが(例:ずっと独身でいるのは人間的に問題があるから等と言われる)おかしくないか(再び、『「一人で生きる」が当たり前になる社会』によると、2040年には64歳までの既婚者は3割になると言われているそう、つまり実態としてはもう既婚者はマジョリティじゃなくなる、というのに)。「配偶者がいない=独り」って狭すぎないか?そもそも独りが不幸っていうのは万人に当てはまることじゃなくないことじゃなくない?「恋人っていう関係だったら別れてたかもしれないけど、もう結婚してるから別れない」っていうのは、本当に嬉しい・望ましい事態なの?「『未』婚」っていう「いつかは結婚する」のが前提の言葉、おかしくないか?(特に今の日本では同性婚が認められてなくて、そこに入ることを選ぶことができない人だっているのに。私は結婚式のブーケトスなる儀式(みんなが結婚を望んでいるという前提で成り立っている儀式)を火あぶりしたいと思ってるくらい憎んでいる。←だから、参加した結婚式のプログラムの中にそれがあっても絶対に参加しない。私の尊厳を譲り渡すことで人を祝うことになるとは思わないから)自分が誰とセックスするかを自由に選べなくなって(私の体の所有権は私にあるはずなのに、配偶者以外とセックスすると高額の「罰金」が取られ社会的地位を奪われることすら当然とされていて)、男女どっちかの姓に絶対合わせなくちゃいけない=どっちかはこれまでの姓を絶対に手放さなきゃいけなくって、でも片方が「性格の不一致だから結婚やめたいです」と言っても離婚は認められない(※)、つまり契約を切るハードルがおそろしく高い、そういう仕組みがロマンチックな糖衣にくるまれたとこだけで語られてんの、ほんと変じゃないか?

(※noteでは何度も書いているけれど、私の実家はTHE家父長制って感じで父以外の家族のメンバーはみんな父のモラハラにさらされて生きていた。就職して実家を出た私は、父の文句をずっと言い彼の事故死を常に望んでいる母を見るのが嫌で離婚を勧め、「でも、手続きを進めてるの相手にばれたらこわいし…子供たちがみんな独立するまでは動けないし…」と言う母の代わりに自治体の無料法律相談窓口みたいなところでどうやったら離婚は可能なのか、弁護士さんに聞いてみた。そしたら、片方が主張する性格の不一致だけでは離婚は難しい、と言われた。言葉の暴力の証拠を日記にしたりして集めたら離婚のための材料にできるかも、とも聞いて母にそれを勧めたけれど、父と口論しても毎回意見が潰されるばっかりだった母はもう「口答えしない」って生存戦略を採るようになっていて、本気で離婚の準備をすることはなかった。あきらめているように私には見えた)

勤め人だったときの、人員配置の仕組みと似ている、と思う。勤め先では、部署のメンバーがみんな120%働くってこと(=ポジティブな予測)を前提に部署の人数を決めている、と感じることばかりだった(だから、誰かが急な病気やケガで抜けてしまうとその穴を補うために他の誰かが160%くらい頑張らなきゃいけない、バッファがない)。結婚制度も、うまくいかなかった時どうするかは(意図的になのか)想像されてない。健やかなるときのことばっかり前提になってて、「病めるとき」のことは軽視されてる。特に契約者のうち片方だけが「この関係は病んでいる」と思った場合の可能性は。

もっとちゃんと、契約としての結婚のメリット・デメリットについて、私は知りたいんじゃよーーー!!

…と、ここ数年ずっと思っていて、情報を集めている(noteでも、何回もこういう疑問について書いてきた)。「結婚していないけど家族として生きている人たち」「一緒に暮らしているけれど、役所の書類上は家族だとは認められない人たち」が社会的に被るデメリットとは何か。

選択的夫婦別姓同性婚の議論を見つめる中で、やっと私が本当に知りたかった情報が少しずつ集まってきたのが、最近のこと。

ちなみに、「同性婚を求める同性カップルが、国を相手取り全国で一斉提訴した」件についてのオンライン署名の呼びかけで述べられていた内容を読んだことで、「社会の仕組み」としての結婚のメリット(※「安心だよ…」みたいな精神論ではなく)の内容が結構わかった。

そこで挙げられていた結婚できないと生じる困りごとの例:
・パートナーが亡くなったとき、結婚をしていなければ、遺言がない限り、どんなに長く一緒に生活していても、何も相続できません。
・パートナーが外国籍だった場合、異性間であれば、結婚することで、配偶者として、日本にいるための安定した在留資格を得られます。しかし、同性カップルは結婚ができないので、留学ビザや就労系のビザなど他の在留資格がない限り、日本で一緒に暮らすことさえ叶いません。
・パートナーが病気で意識不明になったとき、結婚していれば家族として様子を見守り、医師から話を聞くことができます。しかし、同性パートナーの場合には、「法律上の家族ではないから」と病院から拒否されることがあります。病室にすら入れてもらえないこともあるのです。
・パートナーが産んだ子どもをふたりで一緒に育てていても、産んでいない方は法律上はその子の親ではなく「赤の他人」とされてしまい、日常生活で不利になってしまうことがよくあります。また、産んだ方のパートナーに万一のことがあったら、もう一方は子どもと関われなくなってしまう可能性があります。

↑これらの内容は、change.orgの「日本でも同性婚を!だれもが『愛する人との結婚』を選べる社会にするために、私たちの訴訟を応援してください!」より引用したもの。ちなみに署名のタイトルについて私が思うところを書いておくと、異性の間では愛があろうとなかろうと結婚ができるので(例えば双方の経済的メリットのために形式上結婚してる人とかもいる)、同性婚についても愛があろうとなかろうと結婚できるようにならないと平等じゃないよね。

この本『自分で名付ける』も、「結婚せずに子供を産んだ人が経験したことが読める」ということで手に取った。私は、母ががんになって亡くなりそのあとの手続きをする過程で(も)、結婚制度の「不平等契約」な面をいよいよ嫌というほど見せつけられてきて、将来もし子供を持つとしても、できれば結婚せずにそうできたらいいなと思いつつあるので、先駆者の話を知りたかったのだ。(以下は私が以前ツイートした、「不平等契約」な面の例)

(あと母は、義母に嫌がらせをされていたので婚家のお墓に入りたくないと言っていたが、結局そうなってしまった。「うちは結婚してるけど、そんなにひどくないよ、もちろん故人の希望に合わせるよ」って思ってる方いるかもしれないけど、「自分が亡くなったときに実家のお墓に入りたい」と、結婚に伴い苗字を変えた方の人が思ったとき、それを「お願い」して相手が承諾しないと叶えられないってのが、もう既に平等ではないと思うんだよね。どこの墓に入るか?の選択肢が全然フラットに並んでない)

しかも著者は、ずっと気になっていた書き手の、松田青子さんだ。

もう予想通り、というか、予想以上に、松田さんのことが大好きだと思う内容だった。悔しい気持ちも怒りも、柔らかな笑いも全部入った本で、孤独に感じるこんな地獄みたいな世界でも、違和感を抱える仲間がいるんだ!嬉しい!!と勇気が出た。

そう、それ。松田さんはおかしいことにはちゃんとおかしいと言う人で、そこが好きだった。事実として、今の日本はあまりにも、女の人に何かを捨てさせること、「優しく世話好きであること」を「当たり前」に強いている。「女らしさ」「男らしさ」の型が窮屈だ。「普通」じゃない人が端っこに追いやられて、それが当たり前になっている。本の中で松田さんが指摘されていたことで、「ああ…たしかにおかしいよね…」ってやっと気づけたことは、たとえば以下のような内容。(以降、本文では字下げ改行している部分を、便宜上一行空けにしています)

この社会は、結婚すると女性側がそれまでの名前の半分を失うのを当たり前のことにしてきた。パスワードを忘れた時の「秘密の質問」に、「母親の旧姓は?」という項目が疑問をもたれずにいつまでも設定されていることだけでも、それがわかる。

(中略)

現状だと、日本の女性が結婚後も名字を変えたくなければ、相手や相手の家族から了承や理解を得なければならない。時には自分自身の家族からも。そして、もし受け入れてくれたとしたら、相手側は〝理解ある男性〟として、賞賛されたり、同情されたりする。 女性側は名字が変わっても、同情されることもないし、賞賛されることなんてあり得ない。それは当たり前のことだからだ。

(『自分で名付ける』より引用)
よく言われていることだが、子どもはごく小さな頃から、ジェンダーをすり込まれる。

名前を付けられる瞬間からそうだ。名前のバリエーションも多様になってはいるが、男の子は大、勇、などのたくましいイメージの感じが使われ、女の子は小、花など優しくて、かわいらしいイメージの感じが使われる傾向がある。大、という漢字のついた女の子の名前を私は見たことがない。もしあれば、見た人は、男の子の名前だと判断するか、変わった名前だと感じるだろう。また、小花、という名前の、男の子がいてもいいのにとも思う。
(『自分で名付ける』より引用)

これを読んで、小説をコンテストとかに出す場合にはペンネームとして「大子」を使おうかなと思った。別に大きくありたいわけではないが、小さくいろっていう圧力にむかついているから。(ペンネームとかラジオネームとか、「自分で自分に名付ける」行為は面白い)

(以下2つは、『最新!妊娠・出産新百科』という本の中身について)

今の日本の労働環境と社会は、妊婦や子どもがいる女性に優しくなく、働くこと自体を諦めざるを得ない女性がたくさんいるのはよく知られていることだけど、妊娠・出産の本に、「退職」の項目があることは果たして知られているだろうか。
(『自分で名付ける』より引用)
あと、私が衝撃を受けたのは、妊娠中の性生活についてのページだ。「セックスレスでも夫婦円満のコツ」という項目に「挿入はなくても手でしてあげる」と書かれているのに度肝を抜かれた。なんで妊娠中のしんどい時に、まだ何かを「してあげる」ことを求められるのか。「パパへの「ごめん」「ありがとう」を言葉で」とその横にあるのだが、いや、なんで妊婦側が言わなあかんねん、の気持ちでいっぱい。「パパができること」に、「ママの留守中などに自分で処理をする」と書かれているのにも、これ書かんといかんのかと遠い目になる。
(『自分で名付ける』より引用)

きつい…!

私自身の反省をこめての引用も一つ。

前から思っていたのだが、日本は、道を塞いだり、何かの”障害”になったりしている側を、無条件で”迷惑”だとするのが正当化されすぎているように思う。そっちが「普通」なので、様々な理由があって”障害”になっている人たちを軽視していいと思いやすいような気がする。
(『自分で名付ける』より引用)

お年寄りがゆっくり歩いているときとか、ベビーカーが止まっているとき、「通れないなー」とイライラしちゃうこと、私も時々ある。でも、悪いのって、大部分が「一人で速めに歩ける人用」に整えられている街であって、その人たちじゃないよね。怒る先が間違っていたね…と反省した。

あと、どうしても、出産と(自民党が大事にしてるような)旧来的家族像・女性像が結び付けられているね…っていうことについても、ため息をつきながら読んだ。以下は、松田さんが無痛分娩を受け付けている病院を探す過程での一節。

隣町にある、こちらも明らかに富裕層を狙ったえらく近代的なデザインの、高級ベッド、産後エステ、豪華な食事などを揃えた産院のホームページには、付き添いは「ご主人様のみ可能です」などと書かれていて、ここも値段どうこうの前に、「ご主人様のみ可能です」という、様々な可能性をはじいたワードチョイスに、なんか無理、とちょっと引いたりしていた。

(『自分で名付ける』より引用)

私は個人的にはよっぽどのことがない限り「お連れ合い」という言葉を使うことにしていて、「ご主人」「旦那さん」とは言わないようにしている。「ただの言葉じゃん」と思われるかもしれないけど、やっぱり意味が生じちゃうと思うから。瀧波ユカリさんが前に話されていた内容が、私の問題意識に近い。

「夫婦関係は本来フラットなもののはずです。交際中は「○○くん」「○○ちゃん」などと呼び合う対等な仲だったはずなのに、結婚すると「ご主人」「奥さん」になり、夫のほうが上だという雰囲気になってしまうのにはやはり違和感があります。呼び方によって関係性が見えにくくなってしまうんだ、言葉って大事だなと感じています。

 例えば、私が悩み相談の回答として「ご主人を尊重してあげてください」というと「主人はあなたよりも立場が上なんだから、尊重してあげてください」という意味に取られかねません。でも、「夫さんを尊重してあげてください」だったら、「一個人として尊重してあげてください」という意味が伝わると思います。

「瀧波ユカリ 私が『夫さん』と呼び始めた理由」より引用。

でも最近、こちら(↓)のツイートを読んで、「そうだよね…呼び方を変えるだけでは隠されちゃうところがあるかもしれないね…」とも思うようになった。「障害者」を「障がい者」と書くようにしたって、世の中が障害を持つ人に優しくなってはいない、って問題と近いだろうか。

(脱線するけど、社会と女性差別について考えるヒントをもっと得たいと思われている方は、このramonbookさんのツイートをぜひさかのぼって読んでみてほしい。めちゃくちゃめちゃくちゃ勉強になる…)

本の話に戻って、全体の中で一番胸に響いたのは、以下の部分。

(けそ注:出産から)一ヶ月経った頃、区の係の人が子どもの人と私の様子を確認しに家に来た。

五十代くらいの快活な女性で、子どもの人の検査が終わった後、私の母が別室にいる時に、「お一人で育ててるんですよね?」と聞かれた。「あ、違います、結婚していないだけです」と言うと、「なんでなのか理由を聞いてもいい?」と尋ねられたので、「名字が変わるのが嫌なんです」と答えた。彼女は、「え、本当に、それだけで!?」と驚いていた。そして、Xというこだわりの強い人がいるので(けそ注:Xさんは松田さんの「結婚はしていないけど位置づけ的には夫にあたる人」)我が家はまだ家具が少ないのだが、リビングを見回した彼女は、ソファーとか棚とかないね、と不思議そうにした後、笑いながら、「なんかこの家、自由だね~」と言って帰っていった。

彼女に対して嫌な感じは一切受けず、むしろ楽しい時間だったが、でも、私は自由に生きているつもりはなくて、いろいろ窮屈に感じていることのほうが多いし、真面目に生きている。制度や「普通」の枠におさまっていないから自由、というのはちょっと違うように思う。

自分の、名字を変えたくない、という気持ちを尊重するためには、「普通」を諦めるしかないのが現状だ。制度のほうが、「普通」の枠を広げたらいいやないか、そっちの「普通」が狭いくせに、こっちにドヤ顔してくんなよ、という気持ちでいつもいるし、同性婚など、他のいろいろなケースにもこれが当てはまる。

(『自分で名付ける』より引用。太字は私(けそ)によるもの)

社会の『普通』に疑問を抱いてその思いについて周囲に話すと、たいてい言われるのが「面倒くさいね」「考えすぎ」って感想。今の恋人と付き合う前、「なんで恋人って『契約関係』みたいにあらねばならないんだろう?」という疑問について相手と話し合って、しばらく「両想いの友達」という関係でいることにしていたのだけど、そのことを周りに説明したときも、たくさん言われた。結局毎回説明するのが嫌になってしまったのと、私の方が関係にはっきり名前がつけられたほうが安心な気がしてきてしまって、「付き合う」に移行したんだけど、それによって安心してしまう自分にももやもやした。『結婚の奴』の能町みね子さんの言葉、「どんどんみんな『常識』に吸い込まれていく。世間の『常識』の強さをなめたらいかん」を思い出す。

自分がアイデンティティを守りたいと思ってすること、疑問に思って『普通』に飛び込まないでいることを、他者に簡単にまとめられたくない。「自由」だとか「面倒」だとかって言葉で。

『普通』にはまらないことは大変なことだけど、そうすることで守りたいものがあるから、そっちを選ぶのだ。(自分が望んでないのに、勝手に『普通じゃない』にされてる人もいるよね。それはますます残酷だと思う)
しんどいときは松田さんみたいな他の実践者の人の戦いをちらりと見せてもらいながら、生き延びていきたいと思う。

その他、断片的に印象的に残ったところ。

・子供の名前について。トランスジェンダーの人がたくさん出てくるドラマ『POSE』を観たりしたこともあって、「性別らしさをはっきり反映してる名前を子供につけるのは嫌だなあ。自分が女とか男とかどっちでもないとかっていうのを決めるのはその子だものなあ」という風にもともとぼんやり考えていたんだけど、「いや、でも逆に中性的な名前をつけられた子供が『もっと女らしい/男らしい名前がよかった!』って思うかもしれないよな」と最近思い始めた。松田さんは本の中で、「自分で自分に名前を付けるのでもない限り、名前を付けるという行為は付けられた側からしたら負担になることもあり、Xと私が付けた名前を将来O(けそ注:松田さんのお子さん)が気にいらないということも当然あり得るので、Oも大人になって自分の名前が嫌だったら、好きなように変えてほしい」と書かれていた。子供の人生をしっかりその人のものだと思ってる親である松田さん、ほんとにLOVE…!

※ちょっと脱線するけど。性別欄の「どちらでもない」っていうのにしっくりくる人がいることについては、ぺス山ポピーさんの『女(じぶん)の体をゆるすまで』というマンガを試し読みして知った。

・前に、誰も入っていないからと多機能トイレを使おうとしてる友達に「それはよろしくないのでは…」、と話したところ「なんでだめなの?」と言われてうまく説明できなかったんだけど、この本で優先席について書かれていることを読んで、これからは説明できるような気がした。

席が必要な人が来たら立つからそれまでは座っていてもいいじゃないかという意見も、優先座席が空いていない問題が話題になるたびに目にするのだが、めちゃくちゃ空いている電車ならそれでもいいのだけど、そうじゃない場合はやっぱり空けておいたほうがいいように思う。なぜなら、その人の”不調”を見分けることができない場合もあるし、やはりはじめから席が空いていないと、諦めてしまう人も多いはずだ。

(『自分で名付ける』より引用)

もし誰かが入っていたら、待つんじゃなくて「入るのを諦めちゃう人」がいるかもしれないから、使うべきじゃない、と思う。もし諦めちゃった人がいても、中に入ってる間はそれを知ることができないしね…。トイレを我慢できないお子さんがいたとき、すぐに入れる場所を空けておくことにも意味があると思うし(まあこれは、列に並んでる人も譲ってくれることが多いケースではあるけど、そうじゃないこともあるから←なんてことだ!)。

優先席について松田さんは、「優先座席を必要としている人に席を譲れないくらい疲弊してしまうのが『普通』の仕事ならば、それはやはりそれを『普通』にしている社会構造がおかしいだろう」とも書かれていて、ここにも全面的に同意。(ちなみに私は、妊婦さんかどうかを察知する能力が極端に低い。相手がどれくらいの年齢の人かを推し量るのも。だから最近はよっぽど空いてるときじゃないと電車で席に座りたくないのである…スマートに席を譲るのが下手だから…)

Twitterでも書いたんだけど、「恋のから騒ぎ」のオープニング曲のMVがこんなに面白いの知らなかった。

(当記事のトップの画像は、『嵐が丘』のイメージでお借りしたもの)
あんまりこの記事では触れられなかったが、このMVのようにめちゃくちゃ笑える部分が多い本だ、『自分で名付ける』。

私は、ベビーカーでカルディに入るなんておかしい、という言説に、めちゃくちゃびっくりし、嘘だろ、といたたまれない気持ちになった。

なぜなら、私はそれまで全然気にせずカルディにベビーカーで入りまくっていたからだ。むしろ、こんなに狭いのに入ってやっているんだ、見ろ、この華麗なベビーカーさばきを、くらいの気持ちだった。

(『自分で名付ける』より引用)

↑このあたりとか、松田さんの愉快さが存分につまっていて好き。

ということで、すんごくおすすめの一冊ですわい!!

あ、今回の内容に関連する作品(これからチェックしたいと思ってるもの含む)も貼っておく。

本『愛と家族を探して』

人生のところどころで思い出す本というのは何冊かあるけれど、間違いなくこの本もその一冊。いろんな家族の形を、それぞれの形を選んだ人たちにインタビューしてできている本。恋愛はしたくないけど子供がほしかったから精子バンクを利用して出産した人や、性的パートナーと一緒に暮らす人を分けている人、血縁関係にはない他人にも大々的に呼びかけて子育てした人(に育てられた子どもの人)の話などが読める。

恋愛関係じゃなくても家族のように暮らしている人の体験談は、もっと世の中に多くなるといいと思う。恋愛として好きというのと、生活するパートナーとして相性がいいということは必ずしも一致するとは限らないし(今(配信で)観ているドラマ『最高の離婚』でもそういう話がされている)、恋愛を必要としない人もいるのだし。

現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在-変わりゆく親密さのかたち-

こちらも、これから読みたいもの。まだ発売前(2021年8月27日発売)だけど、(出版元の)青土社の紹介文を読んでいるだけで、めーっちゃ楽しみ!

「恋愛」はいま、どうなっているのか――恋愛研究の最前線
ライフコースの多様化を背景に、必ずしも結婚を中心としない視座から恋愛を捉える重要性が増しつつある。しかし同時にこの「恋愛」という概念自体もまた、根本的な問い直しを迫られているのではないだろうか。本特集ではポリアモリーアセクシュアル/アロマンティックを含め、異性愛中心的な「恋愛」の規範が排除してきたさまざまなありように目を向けつつ、その「現在」を多角的に検討したい。

【目次】

特集*〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち​

【討議】
これからの恋愛の社会学のために / 高橋幸+永田夏来

【エッセイ】
もう誰かと恋愛することはないと思うけれど――〝恋愛以外〟のことで考えてみる「恋愛とは何か」問題 / 清田隆之
恋を語る言葉 / 石井ゆかり

【何が語られてこなかったのか】
恋愛からの疎外、恋愛への疎外――同性愛者の問題経験にみるもう一つの生きづらさ / 島袋海理
恋愛的/性的惹かれをめぐる語りにくさの多層性――「男」「女」を自認しない人々の語りを中心に / 武内今日子
ポリアモリーという性愛と文化――愛をいかに自由に実践するか / 深海菊絵
クワロマンティック宣言――「恋愛的魅力」は意味をなさない! / 中村香住
アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向――仲谷鳰やがて君になる』における「する」と「見る」の破れ目から / 松浦優

【〈ありふれた物語〉のゆくえ】
一九八〇年代、『non-no』の恋愛文化――現在を対象化するために / 木村絵里子
ロマンティックラブ・イデオロギーというゾンビ / 谷本奈穂
「愛─性─結婚」の現在地――子どもによって繋ぎ止められる日本のカップル / 大森美佐
「逃げ恥」に観るポストフェミニズムーー結婚/コンフルエント・ラブ/パートナーシップという幻想 / 菊地夏野

【そこでは何が起こっているのか】
ゴースティング試論――CMC空間の恋愛をめぐる一考察 / 中森弘樹
メンヘラ少女たちのオートセオリーのために / 菊池美名子
不安定な自己を叙述する――異性愛関係に引き寄せられる男性のライフストーリー分析 / 西井開
「家父長制ボイコット」としての非恋愛――韓国社会の変化と若者の恋愛 / 柳采延

【描き出され、読み解かれるもの】
二一世紀のラブソングーー現代日本ポップソングの恋愛表象についての一考察 / 中條千晴
映像メディアにおける同性愛表象の現在 / 河野真理江
恋愛を「みせる」こと――恋愛リアリティショーにおけるカップル主義のゆくえ / 田島悠来
ブコメの倫理と資本主義の精神 / 日高利泰

【未完の〈恋愛論〉】
ジェンダー平等な恋愛に向けて――大澤真幸の言う「恋愛」はなぜ「不可能」なのかの考察から / 高橋幸

青土社Webサイトの紹介ページより引用

ドラマ『獣になれない私たち』

野木亜希子さん脚本作品では『逃げ恥』が一番有名だと思うけど、私はこちらの作品のほうが実は好き。もっと生き方が開かれてると感じるから。

特に主人公の晶(気が利いて優しくていつも笑顔で明るくてバリバリ仕事ができるけど、いつも「いい子」でいなきゃいけないように感じていて、ちょっとしんどい気持ちを抱えている)と、朱里(劣等感を持っていて社会に出るのが恐ろしくなり、長年引きこもってゲームばかりしていた)の会話シーンで大好きなところがある。ちょっとずつ人と繋がって会話して、それも一人じゃないんじゃないか、恋愛だけが人と一緒に生きる方法じゃないんじゃないか、と晶が思いの丈を述べるシーン。