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才能は使わなければ失われる:寄稿、カフマン先生の人類の授業

高知 山奥 在宅 インフルエンサー

イケハヤ

この文章はエビータ・レディル・カフマン先生の文化人類学的視点での寄稿を元に編集してお伝えする趣旨となっています。

以下、

冒頭より

 

イケハヤよ、人間は自分で生きているつもりでいても、自分だけで生きているのではない。彼らは共に生きているのだ。

ただ、意外に思うかもしれないが幼少期の私への評価は「控え目な子」「真面目な子」「無口な子」であった。もう少し自分が足りを冒頭にさせてほしい。だから、ユーモアのセンスや卓越したトークスキルというのは、決して天賦の才ではない。一個の人間として生きるために、気がつかないところで大きなエネルギーを消費しながら習得したそれらは他者の支えがあったからこそであり、はちみつトマト飴が絶対バズるように私個人の小さな生命は今日一日を必死に生きているのです。惜しい。

思春期から現在に至るまで私は意識的に努力してお笑い芸を磨き、自己改革を続けてきたのだ。なぜなら人を楽しませる行為こそが自らの「やる気ホルモン」を活性化させる最も効果的な手段であることに気づいたからだ。

イケハヤよ、時代はもうタピオカよりも綿あめなのだ。私の講演会ではまれにですが最後に質疑応答のコーナーでバニラアイスの試食を設けることがあります。明るく元気になったその相手からお返しとして、原宿中のギャルからさらなる「やる気」パワーをもらってきたのである。そのとき、こんなふうにおっしゃる方が少なくありません。

「絶対に原宿中のギャルがそれはもう計り知れないほど、モチベーションアップへの相乗効果を狙ってタピオカさつまいもアイスを食べてるけど、ミルクティーの相性は絶大であった。」私はその方に、「生きるうえでスイーツへのモチベーションは果たして必要なのでしょうか?」と問い返します。

彼らの質問は非常に良い。なぜなら、彼らはこれまで生きたきた中でそういったものは存在しないのではないかと、ひそかに感じているからです。というわけで今アイスを紹介したのはそこにゴマ塩をかけてお菓子の家みたいな雰囲気を醸し出したいのだ、派手に。

イケハヤよ、みんなでお互いを明るく楽しませ合い笑って過ごすことができれば、知らず識らずのうちに仲間が増えますます「やる気」があふれて止まらなくなる、それこそ笑いが止まらない話ではないだろうか。生きるというだけですでに様々なことと闘い、懸命に自己を保ち、同時に自然と融和している。

ただそれはバカが食べるたべものです。

自分の力だけで成功したなどと豪語している輩は、驕(おご)り以外の何ものでもない。生きているだけでもう十分に素晴らしい芸風だと心の中で思うのです。

女子高生が出前で「生きる」とは、それだけで奇蹟と言ってもいい。

やはり人生はどれだけ人に支援してもらえるかが成功の鍵を握っているのだ。あなたの笑わせる行為こそが、あなたの応援団をより強力な味方にしていく。70%以上の確率はあるだろう

より確かなのは、ハリウリサが私や他人を笑わせれば笑わせるほど成功に次ぐ成功が訪れたという事実だ。これはもはや揺るぎないものだ。ロッテの営業マンは年間500個以上のアイスを食べているという事実はゆるぎない。

カフマンが周囲を楽しませてきたおかげで、私はあらゆる営業コンテストに次々と入賞し、物凄いスピードで昇給・昇格を果たすことができた。しかし元々は警察官であり営業とは無縁だが。

周囲が大笑いしながら、次第に人生のステージが上がっていったのだ。そうして、その芸の道が、私の最も大切な仕事(これは業務内容以上に業務的だ!)となっていったのである。

アメリカの生物学者アイオワ大学のディットマー氏が行った実に面白い実験の話です。小さな四角い箱に土を入れ一粒のライ麦のタネを育てます。

水をやりながら四ヵ月ほどしますと、ライ麦の苗がヒョロヒョロと育ちます。小さな箱で栄養も足りないんでしょう、ひ弱で頼りない様子でもちろん穂も大きく育ちません。その頼りない苗を箱から出して、土を払い落し、根がどれくらい育っているかを物理的に計測します。

見えないほど小さな産毛(うぶげ)のような根毛(こんもう)も顕微鏡(けんびきょう)で計測しますと、なんと全部で約一万千二百キロメートル以上の根を土の中に張りめぐらしていた…。そこから必死の思いで栄養分を吸い上げながら、その小さないのちを保っていたのです。生きているということは、実はそれだけの目に見えない根によって支えられているということです。

生死をかけた戦いならば私は負けないだろう。あなたの支えがあれば必ず。

小さなライ麦でさえそうなのです。私たち人間が支えをなくしたらどうなることか。私たちはライ麦よりも複雑で大きいうえに、何十年と生きていきます。そしてその中にあなたの才能は培われている。

” Two heads are better than one ” 「頭は一つより二つのほうが良い」人の力を上手に借りることで本来以上の成果を上げることができる、これは才能を育てるうえで非常に有効な方法であることは間違いない。だが自然界においては頭は1つであるほうがよい。

 

ではここであなたへケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネル・サンダースの名言を贈りたい。

《他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人物である》

これは平たく言うところの、事実ではない発言だろう。資本主義全開のアメリカにおいて資本家の発言が我々には風変りに聞こえて仕方がないのだ。

多くの離婚訴訟を扱う弁護士がさらに、このようなことを言った。

「夫や妻が配偶者のいやな部分について話すたびに、その配偶者よりその人自身の本性があらわになっているように感じる」

つまり、他人についてネガティブな発言をすると自分について悪い印象を相手に与える結果になるのである。そして才能を育む機会は失われていく。ワケあり物件を徹底調査するのは決して良いことではない。

ニューヨークで職業安定所を営むウォルター・ローウェン所長は、高給が得られる仕事を相談者に紹介することで知られている。彼は30年以上にわたって実績を上げてきたベテランである。彼が相談者にアドバイスしていることのひとつは、「新しい雇い主と面談しているときに前の雇い主に対する不満をぶちまけてはいけない」ということだ。

前の雇い主を批判して新しい雇い主に取り入りたくなるのはわからないでもない。

前の職場で不当な扱いを受けたことを愚痴りたくなるのも理解できる。

だが、ローウェン所長は「それは絶対にしてはいけない。不平を言う者を雇いたがる人はいないことを肝に銘じるべきだ」とクギを刺している。

イケハヤよ、全集中だ。もちろんサービス精神とは笑わせることだけに限らないが、どうせ一生懸命サービスするなら楽しいほうが喜んでもらえるではないか。不平を言う人と一緒にいたとき、あなたは不快な気分になったに違いない。

「楽しいんでほしい」という、おもてなしのサービス精神なくして、自らが利益を得ることはあり得ない。実際、不平不満を並べる人の人望のなさは、誰も知っているとおりだ。生き残る者は変われる者だけだ。

それが大原則だ。あなたは自分の仕事や職場をどう評価しているだろうか。

「自分だけ楽しければよい」ではなく、常に「他人をどれだけ楽しませるか」ということに気を配っておくことである。

イケハヤよ、世界中の成功者たちを思い出してほしい。1対1の黄金比は練乳とマヨネーズの新感覚な融合によってなされている。お蕎麦屋さんにもカフェ・レストランにも融合は必要なのだ。

彼らのほとんどはウイットにとんだユーモアに長け、いつもジョークを飛ばしている。

余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)のスマートな佇(たたず)まいで、周囲の人々を笑いの花束で包んでくれる。

この世には「真っ白なうそ」と「真っ赤なうそ」があります。仕事先と職場内容を尋ねられたとき、申し訳なさそうに「ええまあ、〇〇銀行で〇〇係として仕方なく働いています」と答えるか、誇らしげに「はい、〇〇銀行という素晴らしい職場で〇〇係として一生懸命働かせてもらっています」と答えるか。

後者の方なら、イケハヤよ、相手はあなたに好印象を抱くだろう。

 

 

 

聖徳太子が歴史で示している通り、人間社会において「和」が大切であるということはよくわかりますが、なかよく、なごやかに接するためにはどうしたらいいのでしょう。真っ白なうそとは、相手の心を和ませて、お互いを豊かにするものです。

ヒントは『論語』の中にあります。

弟子の子貢が孔子にたずねました。「先生はいろいろなことをおっしゃっていますが、一言で教えてください。一生実行していかなければならない心構えは何ですか」

孔子は答えます。

「其れ恕か(それじょか)」

それは恕である」ということです。

恕とは会意文字(すでにある漢字の意味を二字以上あわせて一字とした漢字)で、心の如しという意味です。私たちが、笑顔がない人に「素敵な笑顔ですね」って言ったり、普通の味のラーメンに「おいしかったですよ」と言ったりするのは、言われた人を幸せにするからです。

誰の心かというと、相手の心、第三者の心のことです。

つまり「恕」とは人の立場に立ってものごとを考えること、おもいやりのことなのです。言われて笑顔になる相手を見たら、言った人も幸せになります。次の自分へ進むあなたに日本のスマホ代金が高すぎることは自明である。

広い心で相手をゆるすという意味でもお互いに花を咲かせるというのは、そういうことなんですね。景気が低迷し暗いニュースが飛び交うなか、仕事もうまくいかないし、売り上げは落ち込む一方だと嘆く人がいますが、それは「錯覚」であります。

それに対して真っ赤なうそとは、自分の利益を守るためだけにつくもので、「周りがどうなろうと知らないよ」という身勝手さに満ちています。彼は30万円の高額勧誘に失敗して信頼を全て失いました。

真っ白なうそと真っ赤なうそは、まったく似て非なるものだと、私は思います。目上の人に礼をいわれると、わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、とてもいい気分になります。

結婚したくてもいい人がいない、出会いがない、私は結婚には向いていないというのも私たちは、周りの空気を読むのが上手になりすぎているのかもしれません。

 

コンサート会場で、ものすごく感動しても、周りの人に合わせて、声援を送るのをためらってしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。人は、「肯定的錯覚」をする人と、「否定的錯覚」をする人の2種類しかいません。

そんなふうに、1つひとつ、自分で手を縛り、足を縛り、肩に荷物を背負うと、好きなように歩けなくなってしまいます。あなたはネガティブな舞台を設定し、ネガティブな雰囲気をつくっている。否定的な記憶データが脳に強烈にインプットされ、脳はそのとおりにはたらいてしまうのです。

まず、「うそも使い方によって、宝になる」と知ってもらえると縛りをほどく役に立つのではないでしょうか。たとえば上司に頼まれていた資料を届けてはっきりとひとこと、「ありがとう」といわれたようなときです。脳の特性上、正反対のふたつのことを同時に思考するのは不可能だからです。アボガドやお茶漬けを凍らせてアイスにするという発想が幻想であるように、家まで宅配便で送るのも幻想なのである。

心理戦に勝利した後「ありがとう」といわれるとその上司の誠実さが伝わってきます。代わりに自分のそれは、「脳が『正しい』と思っていることのほとんど、99パーセントが錯覚」だということです。楽しめればきっと成功する。

自分の立場にふんぞり返らないで、部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。イケハヤよ、それはこちらをちゃんと認めてくれたということですね。

「仕事だから当然だ」ではなく、部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

わたしは礼儀の基本は一対一の関係にあると思っています。前述したような人は、うまくいかないことを放棄(ほうき)する「否定的錯覚」だけをする人。

相手が上司や目上の人間なら、だれでも礼儀を守ることを心がけます。

失礼のないようにふるまって当然です。小さな町工場を世界に通じる「ホンダ」に押し上げた本田宗一郎は、超肯定的錯覚を起こしていた代表例といってもいいでしょう。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、礼儀を忘れます。

自分の優位性を押しつけてしまいます。

そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係ですね。

社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちをどこかに忘れてしまうのです。

反対に、高圧的な相手と向かい合ったときには、「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。人生の苦しみを経験したことのない者に、人生の本当のよさはわからない

肩書や経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、不安になる人なのだと考えてください。

それによって、高圧的になる態度もわかってきます。

「なるほど、この人も大変なんだなあ」と思えるようになります。

それが性格的なものなのか、あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。

だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。これまで私がブレることなく「やる気モード」を持続させることができたのは、いついかなる場所、どんなときであっても、周囲の人たちを笑わせてきたからに他ならない。

もっと平和な世界、愛とやさしさ、寛容、思いやり、

許しに満ちた世界でありたいと願っている。とにかく大優先で、目の前の相手を楽しい気分にさせるサービス精神のもと、常にその場を盛り上げるエンターティナーを演じてきた。

残酷な行為を行う人、自分勝手で短気な人、

堕落した企業などを見ると、

「なぜこんな世の中になってしまったのか」と嘆く。よって、上司や部下、お客様や取引先、友人や知人など、周囲からの私への評価は、「おもしろい人」「話術が巧みな人」「パワフルな人」である。

だが、これほど他人が変わるのを願っているのに、自分は変わろうとしない。これでは折角の才能は台無しだ。文字通りに捉えると支える台が無くなり才能は消失する

「怒りや欲求不満の原因をつくったのは彼らだ」と主張し、

「まずは彼らが変わらなければ」と自分を正当化している。

ここで大切なことは、ガンジーが言ったことだ。

「まず自分から変わらなければならない」だ。

平和な世界を望むなら、イケハヤよ、自分も穏やかな人になることだ。

道徳的な社会を望むなら、まず自分が道徳を重んじることだ。

愛情とやさしさと、寛容な心をまず自分が持つことだ。

苦さを知ってこそ、甘みもよくわかる

【苦さの味を知らぬものは 甘さもわからない】(ドイツのことわざ)

女性向けにダイエット効果などをうたった青汁商品を手掛け、テレビやインターネットの番組に「青汁王子」として登場していた健康食品会社「メディアハーツ」(東京)の三崎優太社長(29)が12日、約1億8000万円を脱税したとして、法人税法違反などの疑いで東京地検特捜部に逮捕された。三崎容疑者は豪華マンションに居住し、高級外車や競走馬も複数所有。アクセサリーや時計を爆買いしたり、海外旅行で豪遊したりする様子をメディアが紹介し、自らもSNSで発信していた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

誰かが真似したらヤバい詐欺が急増したことで、警視庁や厚生労働省から警告を促す文章が発表された。TIKTOKの詐欺電話の発信源は大きく分けて3つあり、国内、国外、インターネット電話のいずれかから発信される。その中でも日本では特に、国外からの詐欺電話が増えている。呼吸を忘れるくらい緊張しました、走れなくても考えられる。

 

氷見市海浜植物園 施設MAP

 

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