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イケハヤ/Voicyと行くナミビアの旅。 カフマン先生、砂まみれで生誕の土地へ行く

こんにちは、イケハヤ/Voicyです。今回はアフリカの僻地へ行った頃の記事を引っ張り出してきました。エビータ先生はバケーションに入られたため代わりに記事を掲載します。旅行記なのでカフマン先生も出てきますよ!野生のダチョウも見ました。


みなさんは、アフリカと聞いてどんなところをイメージしますか?

今回は、私がアフリカを旅して感じたことを書きたいと思います。私が真っ先にイメージしてしまうのはもちろんあのエビータ・R・カフマン先生です。

先生の出身国であるナミビア南アフリカの北西に位置し、大西洋に面した国です。ドイツ領南西アフリカから南アフリカによる統治を経て、1990年に独立した若い国です。国名の由来は国土の相当部分を占めるナミブ沙漠から。そしてその国土の面積は日本の2倍以上あるのに、人口は200万人強しかいないという人口密度の低さも興味をひきます。

 ナミビアは国内電力需要の半分以上を南アフリカなど近隣諸国からの輸入に依存している。同地域は、電力需要が増大しており、今後、輸入している電力価格の大幅値上げが予定されていることから、自前の発電能力増強が大きな課題となっているようです。

ナミビアはウラン、ダイヤモンド、天然ガスなどの鉱物資源が豊富。最近ではレアアースの埋蔵でも注目されており、海外からの開発や投資が活発になるなどビジネスチャンスが拡大している模様。

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ナミビア

日本からはまずバンコクシンガポール、香港、ドバイなどを経由して南アフリカ

カフマン「飛行機の羽の横じゃなくてよかったね、いい席がとれた、静かに眠れる」

この人、離陸してからずっと眠ってるけど生きてるのか!?脈はありました。乗り継ぎは問題なくスムーズ。このご時世なのに。アフリカに入ってからさらに飛行機で2時間ほど。だんだん腰が痛いことに気づく、もう18時間以上すわりっぱなし

「出国前に食べたトリッパのせいで胸やけがする」という先生に胃薬を飲ませ、ここからさらに車で400km~500kmかかりナミブ砂漠まで進みました。時差ボケって、寝てたらあんまり影響ないもんですね。人間って不思議。

途中で用を足したいと言い出し、熱々の砂漠に老人がサンダルで歩きはじめるのですが、暑さのせいでぼんやりと視界が濁り始めてようやく自分が熱中症になりかけていることに気づきます。

満足そうな笑顔で戻られた先生を見て、日ごろの怒りがこみ上げ、でも気力もないので水を渡して仮眠。ジープ?のクーラーが壊れていて、こんな話は映画だけかと思ったらそうでもなくて、けっこう日産やトヨタの中古SUVが走っている名も知らぬ街へ到着。

ガイドさんいわく、「5月から8月にかけての気温は日中が20度、夜間は7度と寒暖差が激しいのが特徴です。旅行はこの時期を外しておくのが良いでしょう。平均気温は30度となっており、意外に思われますが乾燥さえ気にならなければ過ごしやすい気温になっております。」おりますじゃねーし。真夏だよ、

 

ナミブ砂漠は、ナミビアの大西洋沿岸に沿って、北はアンゴラ国境、南は南アフリカ北端にまで渡る広大な海岸砂漠。起源8000万年前に形成された世界最古の砂漠といわれています。海岸線で白く輝く砂は、内陸に入るほど赤い色へと変化し、「ナミブ砂海」と呼ばれる、広大な砂丘の連なる景色を作っています。

世界中からの訪問者が絶えないナミブ砂漠!今だからこそ行きたい、ここでしか見られない、絶景ポイントをご紹介します。


(今回はアフリカと大きくまとめてしまっていますが、国によるところも大きいです。細かいデータなどは興味わいたら調べてみてね!)

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NMN

※木の上で照れ臭そうにしているカフマン先生、御年67歳おめでとうございます!!

ドイツ領だった時代にも南アフリカが飛び地として統治していたWalvis Bayの空港から、大西洋に面したこじんまりとした町Swakopmundを経て2時間ほど北上すると、Cape Crossに到着します。(我々も同じくらいで到着)

イケハヤとしては、なんとかっていうポルトガル人だかが最初に到着したところらしいのですがそんな話も圧倒してしまうほど圧倒的なおびただしい数で海岸線を埋め尽くすアシカのコロニーが印象的でした。

パッと見は岩、それが岩が動いているように見えて不思議な感覚になります。

近づくと野生の臭いがするので遠景から撮影、襲われるかもしれないので群れの中には近づかないようにということでした。

 

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ホリエモン

 

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もふもふ

余談ですがアシカはメスを獲得できなかったオスはニートになって一生をやる気のない感じで終えていくそうです。自然は世知辛いですねぇ・・・。

 

 ナミビアの国名の由来にもなっている「ナミブ」とは、先住民族の言葉で「何もない場所」の意味。海岸線から「何もない」と思えるほど見渡す限り砂地が広がるナミブ砂漠。海岸とのギャップがすさまじいです。その中心となるのが約5万平方キロメートルと、広大な面積の自然保護区「ナミブ-ナウクルフト国立公園(Namib-Naukluft National Park)」。名前にドイツ領だったころの面影が感じられます。

 

砂漠までのアクセスの難しさや、公園の大部分に立ち入ることが出来ないため、手付かずの素晴らしい自然が残っています。2013年には、砂丘生成の多様性や傑出した美しい景観などの理由で、「ナミブ砂海(Namib Sand Sea)」が世界自然遺産に登録されました。まあ人間が少々歩いた程度では地形が変わることがないくらいにシステムがしっかりした地形です。

「ナミブ砂海」へは、首都ウィントフック、または大西洋側のスワコップムントから、南へ約350Km離れた「セスリエム(Sesriem)」を目指します。体力のある人でも容赦なく照り付ける太陽と熱風によってあっというまに日干しの魚のようになる場所です。日常よりも死を身近に感じることができました。

カフマン「もう帰りたい、ママの作るレモネードが飲みたい」

セスリエムで国立公園の入場料を支払ったら、砂漠を目指して走りましょう!公園内の道路はアスファルトで走りやすいですが、時速60Kmが制限速度。スピードを出している車もいますが、ここは景色を楽しみながら走るのも旅の楽しみ。暑い。

注意しておきたいのは、公園のゲートが開くのは日の出から日の入りまで。砂漠で朝日や夕日を観たい方はセスリエムゲート内の宿泊施設に泊るのがお勧めです。

セスリエムゲートから40Km程離れた地点辺りから、間近に大きな砂丘が現れます。魅力的な形状と道路のすぐ横というアクセスの良さで、写真にもよく撮られている「デューン45(Dune45)」は45Kmの地点に。写真は40Kmの地点で観られるデューン40。ここまで来る時点でイケハヤの足はパンパン

海岸線では白い砂地も、内陸に入るほど水分が奪われ、砂に含まれている鉄分が強い日差しで酸化して赤色に。早朝や夕方には、低く差し込む日差しが砂丘の濃い陰影を作り出します。

 

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クラインガルテン本山

入口から約1時間で駐車場に到着。土の乾いた匂いがたまりません。湿度が低いせいか、辛さは感じないのが不思議です。道中には野生のダチョウも生息していました。ダチョウがいるとか聞いたことないし。

ここからは深い砂地が続くので、4WD車でしか奥地へは行けません。対応車でも砂地を走るのに慣れていないと、走るのはとても大変!徒歩または、駐車場から発着している有料のシャトルサービスで先に進みましょう。なんでも観光化していて・・・。

鳥取砂丘と比べて砂の質感が少し違って、重たい気がしました。

 

ミネラルウォーターで喉の渇きを癒すと駐車場から砂地を超えて約1㎞の場所に、「デッドフレイ(Deadvlei)」への出発地点が見えてきます。ここからは徒歩のみの行程で、目的地までは1.1km。日差しがきつく、乾燥した気候なので水を忘れずに持って行ってくださいね。

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三崎優太

目の前には、300m級の砂丘がなだらかな曲線を描いて待ち受けています。目的地までそれ程長くない道のりですが、足は砂にとられ、思うよう歩けないので、あせらずゆっくり進みましょう。もちろん、砂丘に上らなくても右手には砂丘の横を歩いて行く道もあるので安心してください。

出発してから約30分。今まで砂しか見えてなかった目の前に、白く乾いた平らな場所が目の前に!!赤い砂丘の中に白い湖が出現したかのように見える「デッドフレイ」。「デッドフレイ=死の沼地」と呼ばれるこの場所は、以前は水があった沼地で、現在は水が無くなり、そこに生えていた木が化石のようになっています。

約500年以上前に枯れたと考えられる木々は、ナミビア特有のアカシアの一種。強い日光にさらされ、長い時間そこに立っている木々の表面は黒く変色しています。

赤い砂丘、白い乾いた土地、青い空に枝を伸ばすように点在する枯れた木々。その神秘的な風景に、まるで違う惑星に来たように感じてしまうかもしれません。

また、この「デッドフレイ」は写真撮影の絶好スポット!ぜひ、色々な構図で思い出の1枚を撮ってみてくださいね。

デッドフレイからさらに奥に進むと、たどり着くのが「ソススフレイ(Sossusvlei)」。ナミブ砂海で人が入れるのはここまで!デッドフレイから歩くことも可能です。

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情報商材

「ソススフレイ」は現地の言葉で、「行き止まりの沼地」。川から流れて来た水がこの沼にたどり着き、その水は先に行くことはなく、蒸発するか、土地に吸い込まれていきます。デッドフレイと違い、ここでは数年おきに水が溜まった状態が見られます。そのため、緑の葉を持った木々が周囲にあり、訪れる人の休憩場としても人気があります。

この周囲には、特に高い砂丘があり、400m級の物まで。ナミブ砂海の砂丘は、さまざまな方向から風を受けるので、高さと、その美しい形を保っています。また、さざ波のように見える、風が作った模様もまるで芸術。朝、夕の景色も素敵ですが、日の光にきらきらと輝く砂丘の姿もまた格別です。

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はあちゅう

砂漠探訪後に時間があれば、ぜひ寄ってみたいのが、「セスリエム・キャニオン(Sesriem Canyon)」。セスリエムのゲートから4Kmのところに入り口があります。

「セスリエム・キャニオン」は200mに渡る渓谷で、深さは30mの場所も。ここからソススフレイまで地下水脈が続き、大雨が降ると川になります。この地域では珍しく、1年を通じて水が残っている場所。地上で見られる砂丘の景色とは、また違った自然の美しさを見ることができます。

赤い砂漠で有名なナミブ砂海。ここでは、その姿が魅力的な「赤い砂丘」、まるで別の惑星のように見える「デッドフレイ」、水の終着地「ソススフレイ」、そして砂漠とはまた違った趣の「セスリエム・キャニオン」と、多彩な景色を見ることができます。

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ガムポン

現地でしか味わえない、砂漠特有の乾いた空気や風とともに、自然の作り出した美しさを、ぜひ体感してくださいね。

広い国なので私たちが見たのはほんの一部だし、写真をいくらアップしてもやっぱり実際に見ていただかないとこの壮大さは分かりづらいです。乗り物を乗り継いで最後は徒歩で走らないとナミブ沙漠の入口のSossusvleiまで到達しないので旅程は簡単じゃないですが、行ってみる価値はあると思いますよ。

国家元首はハーゲ・ガインゴブ大統領が2期目に入っています。

www.mofa.go.jp

 

 

 おまけ:カフマン先生の高齢化住宅メモ

 世界に見る高齢化都市ストックホルム

ストックホルム市の人口は93万7千で、65歳以上は14.5%(約13万6千)、うちなんらかの高齢者介護を受けている人は20%、介護付住宅に入居しているのは5%です。1992年のエーデル改革以前にはほぼ100%市が運営していた介護サービスは、いまでは90%が民間企業に委託されています。エーデル改革以前のスウェーデンの高齢者施設は、①県が管轄する医療施設だった長期療養病院、②自治体が管轄していた老人ホーム、③認知症グループホーム、④自立高齢者のための介護付住宅のサービスハウスの4つの種類がありました。

エーデル改革により、長期療養病院は県から市に移管されて福祉施設のナーシングホームになりました。建物を改築してトイレ・シャワー・キッチン付住宅にし、やがて認知症グループホームからヒントを得て1フロアーをいくつかに区分して1ユニット8戸程度にまとめ、ユニット形式の介護を取り入れるようになりました。最近は看護介護住宅Vård, Omsorgs Boendeと呼んでいます。これまであった老人ホームはトイレ・シャワー・キッチン付の個室に改築され、少しずつユニット介護を取り入れました。

認知症グループ住宅

認知症グループ住宅は1985年にスウェーデンのモータラ病院の老人科の医師だったバルブロ・ベック・フリス女史たちが試みた住居形態です。各戸がトイレ・シャワー・キッチン(家族がきたときだけ使える)付、居間、寝室がある独立した35㎡ほどのアパートになっています。アパートが8戸前後のほかに、食堂、居間、洗濯室、バスルームなどの共同スペース、スタッフルームなどを一つのグループにして、ユニットケアをしています。知的障害者グループホームからヒントを得たユニット介護を取り入れました。80年代後半から政府が建設補助金を出して数を増やしました。ちなみに日本の認知症グループホームはこれを模倣したものですが、名前だけの模倣で、シャワー・トイレ・キッチンがある住居ではなく7.5㎡ (4.5畳)程度の部屋だけが集まったものにすぎず、グループルームと呼ぶべき施設です。

 

サービスハウス

サービスハウスは1988年に国が補助金を廃止したため、建設が止まりましたが、自治体独自の予算で建設したものもあり、その名前をつけた集合住宅はまだ残っています。1LDKから3LDKまでの広い面積を持ち、共同スペースにはデイ介護、織物や木工などの趣味室、カフェテリア、リハビリ部門、図書室などの高齢者センター的な機能を持っていました。

エーデル改革では、こうした施設を特別住宅、施設ではなくて住宅と規定し、入居者の状況によって住む場を変える必要がない終の家としました。認知症グループホームと障害や病気がある高齢者が住むナーシングホームだけが特別住宅として規定されました。そして2008年くらいから、サービスハウスから介護機能をはずし、デイケアなどの高齢者センター的な機能も取り除き、管理人がいるふつうの安心住宅へと改築をはじめました。スウェーデンの高齢者施設の特徴のようだった機織りや木工などのアクティビティは、いまはほとんど見られなくなりました。

スウェーデンの人口は2017年1月に1000万になりました。2004年に900万を超えてから10年後の2014年に971万になり、1,000万になるにはあと5年かかるとの推定がありましたが、シリアからの難民の受け入れを積極的に行ったため、予想外の増加になりました。増加のうち75%が外国からの移民とのこと、移民の40%前後がフィンランド、旧ユーゴスラヴィア地域などのヨーロッパから、残りがシリア、イラク、イラン、トルコ、ソマリア、チリなどから。いまや全人口の15%を超える人がスウェーデン以外で生まれた人とのこと。北部の過疎地での介護サービスに従事する目的での移民が歓迎されましたが、2015年秋から移民の受入は絞られてきました。

ストックホルムセーデルマルムにあったヴィンタートゥレン・サービスハウスのように、大量に受け入れたシリアからの難民のための住宅に改修されたところもあります。

安心住宅、特別住宅

安心住宅、特別住宅という考え方は、住宅を元気老人と要介護老人の住居にはっきりと分けることです。安心住宅は70歳になってから入居申請でき、75歳から入居可能です。住人はバリアフリーで造られた、管理人がいる集合住宅に住み、介護や医療が必要なときは、地域から訪問介護訪問看護・医療を提供されます。ストックホルム市の特別住宅は、病気で自宅では暮らせなくなって医療的な対応が必要な高齢者、障害者、認知症、24時間に8回の訪問介護サービスを受けても1人で暮らすことができない高齢者だけを受入れています。ここで最後の時を迎えるターミナル介護の施設でもあります。

ストックホルムに2008年にできたロイトナンツ・ゴーデンはキリスト教系の財団が運営する、安心住宅と特別住宅です。108戸あり、うち54戸が安心住宅Tryghetsboendeで財団の所有、54戸が介護付特別住宅で市の所有です。各戸の面積は35㎡以内、共同スペースが15㎡以内、計50㎡とされています。これより広いと国の建築補助金の対象になりません。

ロイトナンツ・ゴーデンは6階建てで、1階に学生寮、会議室、フィットネスジム、入居者の親族や友人が宿泊できるゲストルームがあり、2階が安心住宅、3階が28戸の看護介護住宅、4階が26戸の認知症グループホーム、5階が安心住宅と事務室になっています。老人間の交流の場である共同スペースを多くとり、クラブ活動を奨励し、その一つとして安心住宅の住人が、時間があるときは要介護老人の話相手のボランティアをして介護が必要な高齢者が孤立しないように配慮しています。ここはこの考えでの介護を行う最初の例でした。学生寮の学生たちは、希望のときに特別住宅でアルバイトとして働くことができ、財団としては将来的に介護の仕事についてもらえればと意図しているそうです。

政治状況との関わり

2010年9月の総選挙で政権を維持した中道右派政権は、これまであった介護付サービスハウスを改修して、介護のない安心住宅に変えています。介護が必要になれば地域の訪問介護サービスが提供し、少ない看護師や介護士を一つの施設の中だけで利用するのではなく、地域全体で利用する施策です。今後高齢者が増える一方で、移民に反対するスウェーデン民主党議席を増やし続ける現状では介護労働者としての移民を増やすのはむずかしくなり、介護労働者が減少するのに備えて、少ない労働者でも支えられるような仕組みを作ろうとの意図もあると思われます。

2014年の選挙では社民党が再び政権に返り咲きましたが、スウェーデン民主党は第3党(13.9%)に躍進しました。安心住宅と特別住宅の区分を明確にする政策は続くと思われます。

参考までに日本の有料老人ホームや特別養護老人ホームの居室最低面積は13㎡、サービス(状況把握と相談のみ必要で、介護なし)付賃貸住宅の居室最低面積は台所と風呂なし水洗トイレ付18㎡となっていて、ウサギ小屋介護状態です。北欧諸国と比べると設備の差は歴然で、日本が北欧に追いつくことは永遠にないでしょう。クラインガルテン形式の福祉住宅には非常に興味があります。