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職場の発達障害者に潰されるコムドットゆうた  ■宮脇咲良

とある日、辞令が下された。

ある人(勤め始めて5年以上は経つ)が私の所属している部署に異動してくるという、一見なんでもない辞令だった。

しかし、部署内の空気は重かった。

なぜなら、彼はもう3部署も飛ばされている、言わば問題児だったからだ。

Aさんの始まり

 

彼の武勇伝は、彼が入社した当時にまで遡る。

研修も終わり、配属先が決定した当日、伝説となる発言を放ったのだ。

「私は発達障害持ちです。フォローをお願いします」

配属先である部署の人達は、唖然としたという。

なぜなら、彼は正社員雇用だったからだ。

 

弊社では障害者雇用も行っているため、そういった方々も多少は採用されている。

しかし、クローズで正社員雇用をすり抜けた挙句、雇用が本決定した途端に告白し、開口一番こちらからのフォローを求める発達障害者は初めてのケースだった。

障害者雇用であれば先例があるためこちらも動きやすいし、せめて面接時に「発達障害だ」と告白してくれれば、部署内で多少の受け皿を用意しておくぐらいは出来たのに。

これでは発達障害を言い訳にしているとしか思えないし、発達障害に適した環境を用意することも出来ない。

 

同部署の方からこの話を聞いた時、まぁとにかく驚いたものだ。

しかし、法律ではクローズは罰せられない。

面接時に必ず申告しなければならないとも定められていない。

という訳で、同じ部署の方々は何も抵抗できず、この発達障害の方(以降Aさんとする)のフォローに奔走することになる。

 

Aさんのその後

 

話はとんで1年後。

Aさんの異動が発表された。

そのまた2年後。

またAさんの異動が発表された。

その間にも、あらゆる部署からAさんの噂は絶えず流れ込んできた。

ここまで特定の人物の多種多様な噂話を聞くのは初めてで、何も知らないながらも大変そうだ、といった印象は受けていた。

そう、この時の私は印象を受けていただけ。

Aさんの問題っぷりをあまりにも舐めていた。

何も分かっていなかった。

そして遂に、私の所属する部署にAさんが異動してくることになったのだ。

 

ちなみに勤務年数で言うと、Aさんは私の先輩にあたる。

が、この部署での勤務年数で言えば、勿論私の方が長くなる。

そのため、私を含め部署内全員でAさんと指導をすることとなった。

 

Aさんの問題行動

 

もう一度言う。私はAさんをナメていた。

実際に共に仕事をすると、今までの人達はこんな人と付き合いながら仕事をしていたのかとあまりの大変さに敬服した。

 

例えば仕事を教える時。メモ1つとっても、以下のような症状が見られるのだ。

・メモを取らない

・とったメモを無くす

・メモをとったことをそもそも忘れる

・メモが見つかっても内容がぐちゃぐちゃすぎて参考にもならない

・酷い時は教えてもらったこと自体を忘れる

 

これでは迂闊に仕事も任せられない。

1つの仕事を任せる度、1人がAさんについて、1つ1つ懇切丁寧に教えていく。

数回教えれば何とかなるものでもない。

健常者の新人とは違って、そのままの意味で任せる度に教えなければならないのだ。

つまり、Aさんが仕事をする度もう1人の労働力が無くなることになる。

これでは人件費はむしろ赤字だし、効率も下げている。

 

だがAさんの厄介さはそれだけに留まらない。

そう、発達障害故の特性だ。

・優先順位をつけられない

・不文律が理解できない

・凹みはするが反省ができない

PDCAサイクルを回せない

・自分の立場、役職に適した言動が取れない

・他者を思いやった言葉遣いができない

・全て思い込みで行動してしまう

・人の助言・アドバイスを受け入れられない

これらはいずれも、我々が指摘・注意した際に「発達障害なので…」と言い訳された言動の一部だ。

特に厄介なのが、「人の助言・アドバイスを受け入れられない」だ。

こちらがどれだけ優しく

「誰でもミスはするからね、気にしないで」

「どこまで分かってるかな?すり合わせしてみよう」

「初めからできる人はいないから。一緒にやってみよう」

と寄り添っても、指摘されたという事実だけにフォーカスして、

「褒めて伸ばして欲しい」

「なんで皆いじめるんだ」

「私がミスしないよう環境を整えて欲しい」

と暴れ馬になってしまうのだ。

 

こりゃ大変だと、様々な対策も打ってみた。

Aさん専用のマニュアルを作ったり、不文律を手順書に明言したり、仕事を同時に複数個与えないよう配慮したり、進捗を定期的に確認したり…それはもういろいろだ。

しかし、結果はダメ。

マニュアルより思い込み優先で動いたり、手順書の存在を忘れたり、やるべき事ではなくやりたいことを優先させてしまったり、進捗を確認しても「出来てます」と虚偽の報告をされる。

そしてトドメは「発達障害なので…」という言い訳だ。

 

勿論そんな人には本当に簡単な仕事(もはや仕事とも呼べないレベルだが)しか任せられない。

いや実際にはコピーや掃除などの仕事すら満足に回せていない状態なのだが…

そんな状況でも、我々は諦めなかった。

閑散期には彼にもう一度仕事を教え直したり、誰かとグループを組んで共に仕事をしたり、打てる手は打っているつもりだった。

しかし、我々が耐えているのと同時に彼も我慢していたのだろう。遂にこう騒ぎ出した。

 

「なぜ仲間はずれにするんだ」

「自分だけ仕事を教えてもらえない。パワハラだ」

「なぜ皆自分を育てようとしてくれないんだ」

 

…恐ろしいことに、彼は自分は仕事ができる、もっと仕事を任せてもらえて当然だと思い込んでいたのだ。

ここまで来て、全員が彼を諦めた。もうお手上げなのだ。

 

Aさんの今

 

こう言ってはなんだが、私が所属している部署はホワイトだ。

今まで働いてきて人にネガティブな感情も抱いたことも無かったし、むしろいい人ばかりだ。

しかし、全員が限界を迎えた今。

表には出さないが、もう、誰もAさんの話をまともに聞かない。

 

実は今年、新入社員がこの部署に配属された。

しかし既に何かを察したのか、もうAさんに確認をもらったり、助言を求めたり、仕事の説明をしてもらったりすることが無くなった。

どうやら、彼女は所謂仕事ができる人らしい。

つまり、上から下までAさんのことは眼中にないのだ。

 

悲しい話だ。しかしそれはそうだろう。

こちらがどれだけ寄り添ってももっともっとと強請り、自分は何も与えないどころか足を引っ張るのみ。

何かミスすれば発達障害なので…を言い訳に反省もしない。

その癖自己愛や自己評価は高く、傷つきやすく、現実とのギャップを埋められるだけの能力もなければ、改善策も実行しない、考えることもしない。

 

そんなAさんの傍若無人っぷりは今も健在だ。

皆耐えている。社会人でいたいから、加害者になりたくないから、解雇する権利がないから。

必死に我慢している。

 

なぜ我慢するのか?

皆自分の仕事をする為に会社に行っているからだ。

発達障害者の面倒を見るために、重い体を引き摺って通勤している訳では無い。

我々はママでも介護士でも先生でもなければ、会社は学校でも就職支援センターでもない。

発達障害者の面倒を請け負って仕事を倍こなしても、給料も上がらなければ手当も出ない。

寧ろ、自分たちの1/5も仕事をしていない人間と同じ給料で働かされていると思うと、怒りすら湧いてくる。

もはや、Aさんを起点に部署全体がどんどん悪い方へ向かっているのだ。

 

分かっている。この状況はAさんにも我々のためにもならない。

もうAさんには直接言うべきだろう。

やりたいことと出来ることは違うと。

だってそんな簡単なことすら、発達障害者は分からないらしいのだ。

 

綺麗事の配慮で、ミスマッチは埋められない。

指導方法だけで、ミスマッチは埋められない。

仕事が出来ない人と仕事をするのは、こっちだって辛いのだ。

彼さえやめれば元の職場に戻るのに…と、心がどす黒いもので埋まっていく感覚は、何とも言い表せない不快感がある。

そして痛々しい位に、苛つく自分自身への自責の念と、怒りの感情の葛藤で追い込まれる。

この本の感想は、著者の前田さんがメモ魔になったきっかけはともかく、「メモ」という行動について、こんなに深く掘り下げて書かれたことがすごいです。メモについて前田さんの持っている全てを提供している本でした。前田さんのメモの方法が紹介されていて、私は「ファクト→抽象化→転用」が出てきたあたりから難しくなってしまいました。最後の特別付録は圧巻です。そんな私でも共感できるところ、新しい気づきと発見は沢山ありました。その中から「メモ」をキーワードにM9notesにまとめました。

メモの魔力 前田裕二 旧統一教会 テレビ局



そして遂に、私たちの部署から1人退職者が出た。

もう耐えられないと。

会社が動かないなら自分が動くしかないと。

私は同士であり、友人でもあった彼女を止めることなどできなかった。

 

 

発達障害者と合わなくても自分を責めないで

Aさんが異動してきてから、私は嫌という程思い知った。

発達障害は甘くないと。

 

発達障害者と共にやっていけないという声が上がる度、その内容や考え方に怒る「発達障害擁護派」はちまたに溢れかえる。

お恥ずかしい話、私も当初は「発達障害者も平等に仕事が与えられるべき」と軽く考えていた。

だが今なら断言出来る。彼らは発達障害者のサポート・フォローに苦労した経験がないのだ。

こういった人達は、総じて私と立場が変わった瞬間に掌を返すだろう。

きっと誰だってこうなる。なぜなら人間は聖人じゃないのだから。

 

そもそも、同じ給料を貰う以上、極端に効率が悪い人がいると不満が出るのは自然な事だ。

特に私のケースでは、正社員として雇用された上で発達障害者のフォローを求めるところがそもそもおかしかったのだ。

健常者と働きたいなら、健常者と同じように雇われたなら、健常者と同じ効率や働きぶりを求められるのは当たり前だ。

こちらがそこに関して配慮する必要性は感じられない。

 

勿論、ここで述べたような人間とは違う、もっとまともに働いていらっしゃる発達障害者の方もいらっしゃるのだろう。

そういった必死に努力している方の事は応援したいし、能力を適切な場所で発揮してもらいたいとも思う。


しかし「周りが支援して当然」の声にはもう我慢ならない。

こういった、発達障害者における愚痴を発すると

「障害に理解のないおまえが悪い」

「健常者なんだから我慢しろ、文句を言うな」

「勉強不足だ」

「もっと手をさしのべろ」

発達障害の人には〇〇のように接しないとダメ」

「悪気はないんだから許してあげて」

と叩かれることが往々にしてある。

どうやっても、健常者の負担は無視されるのだ。

 

そもそも、片方のみに負担を強いるその精神に異議を唱えたい。もはや異常だ。

なぜ他人のために不利益を被る必要があるのか。

なぜ一方的に相手に負担を強いるのか。

これらの何がおかしいのかも分からないお花畑っぷりに、グロテスクさを感じる。

 

健常者だからという理由だけで、我々の人生がイージーモードだと思っているのだろうか?

そんな訳がない。みんな自分の人生に必死だ。

なぜ健常者が理解を深めなければならないのか?

なぜこちらがそこまでのコストを払わなければならないのか?

支援は当然だという声には、こういった反抗心すら覚える。

誰かに足を引っ張られた時に、無限に、穏便に手を差し伸べられるほどの余裕は無いのだ。

 

こう言ってはなんだが、生産性がマイナスの人間は働かずに生きれるよう、福祉をもっと充実させるべきだと思う。

障害者年金などでは足りない。

普通の仕事をしなくても生活できるように社会的な補助が必要だ。

後は作業所で働けば生活できる程度の給料は貰えるとか。

 

もしくは、フォローする人には別途手当を与えたり、給料を増額したりといった、メリットがあると思わせる程度の手当が必要になるだろう。

そちらの方が、発達障害者に取っても、我々にとっても、お互い適度な距離をとって友好的に接することができるのではないだろうか。

労働という効率や生産性を求められる場から離れれば、我々はもっと上手い付き合い方ができるのではないだろうか。

 

どうか、どうか。

我々を助けていただけないだろうか。

加害者になどなりたくはない、そして被害者にもなりたくないのだ。

 

最近は福祉への祈り、人事の辞令だけを希望に床についている。

 

那須ほほみさんからのコメント

彼(ゆうた)は1年で異動させられましたが、私の後輩も仕事ができず、メモを取らない、電話も取れない(あまりにも緊張して受け答えができないため)、彼女のためにマニュアルを作っても覚えないどころか読みもしない。また、悪気は無いのでしょうが恐らく今までの人生でそういう事が積み重なり、やって貰って当たり前の感覚になってしまったような態度です。ただし彼女は健常者の採用であり、発達障害なのかはわかりません。
仰られている通り周りへの負担やストレスが大変増えましたし、ほぼ給与の差もないのになぜこんなにも相手を思いやりフォローしてあげないといけないのかと思いました。早く辞めろとも(言えませんが)。
確かにそういった問題がある人への支援は必要でしょうが、Aさんや私の後輩のような方は健常者として入社してきた以上自分にハンデがあろうと皆んなが同じ土台に立っていること理解してもらいたいです。こちらだって高め合える仲間だと思っていたのにママ扱いされては困りますよね。でもPDCAサイクルは物を管理するための手法なので、人間を物あつかいしていて見ていて良い気はしません