「コミケ100回目開催ってことは第1回は1923年だったんですか?」
C10番台の1934年頃には運営が共産主義者の疑いを掛けられて、軍国主義賛美と反共の同人作品を多数頒布することで特高からお目こぼし受けてた、って昔の資料で読んだことある
そうだよ1945年夏開催のC45では物資の不足からわら半紙4ページ程度の同人すら登場したもんだ。冬のC46ではマッカーサー総受け同人が原因でGHQに介入されかけたけどゲリラ頒布で逃げた
終戦の頃は、都会の人間は米に飢え、農地の方は やおいに飢え、米や卵と同人誌が交換され… 当初は皇居前広場にテント張ってやってたんだよ
1943,44年は戦局の悪化を理由に欠番中止になるが1945は終戦直後に急遽開催が決定に 1946年のメインジャンルはやはり軍関係だったらしい 1943年以前は検閲が厳しかったはずだが検閲官の理解により検閲はあってないようなものだった 戦後すぐのコスプレ広場は黄金バットが多かった
大戦末期のC44やC45では、鉄道島は粗悪な紙ペラ1枚の自作時刻表が花盛りでな、みんな決死の覚悟で憲兵の監視をかいくぐり頒布したもんじゃった。 時刻表なんてコミケでしか手に入らなかったんじゃよ
当時からやおい本は人気でのう、女学生さん達が嬉々として本を買い漁ったり、推しカプ談義をする光景が見られたもんじゃった.C1の頃は「文學爭鳴會」と呼ばれてたらしい。 あの菊池寛や大佛次郎、高浜虚子、与謝野晶子などもスペースを出してたとか。 関東大震災のカンパを兼ねて、渋沢栄一が開いたとも言われてるね。 だから、C1は23年の10月末、C2は越年。
昭和18年に開催されたコミケでは東條英機首相の同人誌が発行され、当日会場には多数の警察官や軍関係者が殺到。発禁騒ぎとなったのはあまりにも有名
C4で頒布されたという 「集真写隊艦軍海國帝」 がとてつもないプレミア価格なんだよな… 長門型戦艦の雄姿に加え、竣工したばかりの睦月型駆逐艦が写り込んでいるためマニア垂涎の一冊なのは有名な話
終戦直後のあるサークルは新刊が刷り上がったのが前日夕方でこれでは間に合わないと途方に暮れていたところ、どこから聞きつけたのかカービン銃を持ったMPがやってきて新刊とサークル主催を飛行機に押し込みその日のうちに羽田飛行場に飛ばしてしまった
昭和19年や20年ごろのコミケ鉄道島では表向きは勝利後の大東亜圏旅行記などを出しながら、憲兵や警察に隠れるように63形電車はじめとする戦時新造車や戦時対応改造車に関する目撃調査情報やスケッチや隠し撮り写真を配布してたらしい。
サ〇ヤ様がサムライトルーパーの薄い本を書いたり売っていたという話も聞いたようなC44とC45って空襲の後だったから結構遠くからも見えたって伝説あるぞ,戦前はのらくろのブルドック連隊長✕モール中隊長本が出て、田河水泡が激おこで大変だったんだよ
戦前の一時期は架空の女学生同士の疑似恋愛を題材にした「エス」ジャンルが隆盛を極めておりましたが、やがて押し寄せた軍国主義の波に呑まれて消えて行ったのは実に惜しまれる事です。
第2回コミケが関東大震災の被災者多数で開催不能と思われたものの全国の有志が決起し開催が決定、結果として全国的な認知を獲得する。会場も臨時東京市設魚市場(のちの築地市場)を借用、「コミックマーケット」正式名称の由来もこれの謝意とされる。復興支援の志をも持参したことは言うまでもない。
コミケ1回目の直後に関東大震災が発生したので「コミケの後には大事が起こる」ジンクスは最初からついて回っているんです。
けしからんと言われて没収されて、次の日に「もっとやれ」と言われたという話は本当ですか?
東京駅・上野駅の赤帽さんの繁忙期は盆と年末といわれ、重い新刊を抱えて長距離列車で上京する同人作家さんに重宝されてました
戦後、進駐軍に解体されそうになったとき、当時の代表が数年分の見本誌持って乗り込んで、大演説ぶち上げて継続を認めさせたのは有名な話
「超解説 歩兵操典」 検閲官「貴様!これを書いた奴を連れてこい!」 後日出所不明の大金で豪遊するサークル主さんが見かけられ、不自然な表紙張り替えが行われた参考書が陸軍予備士官学校等で使用されていたらしい。
確か、1941年の18回の時には「走れメロス」のヤオイ本が大盛況で、「メロス×セリヌンティウス」派と、「メロス×ディオニス王」派と、「セリヌンティウス×ディオニス王」派が大論争を繰り広げた結果、結局混ぜてしまえと「メロス×セリヌンティウス×ディオニス王」の3P本迄出てきたからね。
1941年冬は「劇画市場(コミケ)」の列で開戦の詔勅を聞いて興奮の渦の中での開催となり、1945年夏は列で「今日は陛下から重要放送があるらしい」と周囲で噂しながら、正午にラジオのあるブースに集結して終戦の勅語を聞いたとか
壁サークルに半日並んで手に入れた薄い本、震災で焼けちゃったんだよなぁ・・・惜しいことをした。それが第1回の思い出。打ち上げは日本橋の白木屋って言ってた大手の人がうらやましかった。60〜70年頃は赤い連中が普通の同人書きに混じって活動してたもんだから、公安の目がきつかったんですよね…
アポロ着陸は7月だったんでコミケ69には間に合わず、翌年のC70でアームストロングXオルドリン本が大量に出回りました。万博で月の石が展示されてたこともあってその年だけ盛り上がりましたね。翌年C71は帰ってきたウルトラマン、仮面ライダーが始まったこともあってさっぱりでしたがw旬が短いw特定サークルの奥書を合わせると爆弾の作り方になってるとか、ミリタリ島の所に学生連中が押し寄せたり、政治島が公安に監視されたりと、60〜70後半辺りまではコミケも激動の時代でしたね。
C46~C50ぐらいまではインフレが酷かったので物々交換も盛んでしたね・・・島中だと進駐軍の缶詰や菓子がやりとりされ、壁では反物一反でタペストリー一枚とか今考えるとかなりぼったくりですがそれでも当時の神絵師の絵をほしがる人はいたのです