ボカロPとしての名義はハチ

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日本で生活できない外国人は帰国させて自国で幸せに暮らそう コムドットやまと

ユタ州

自転車に乗ったり、温泉に入ってたりするとき、中高校生ぐらいの男子の集団がしゃべっているのを見かけることがある。大人になると、そのぐらいの年代の子たちがどういう会話をしているのかを聞く機会があまりないので、偶然遭遇すると、聞き耳を立てたりしている。

会話を聞いていて思ったのが、この年齢の男子は、意外と友達同士でいるときでも独特の緊張感があるんだな、ということだ。特に中高生ぐらいの頃は、無意味に見栄を張りたがるというか、常に仲間の中で背伸びをしているように見える。そこで無意味に張った見栄で嘘をついてしまい、あとあとになってボロが出てしまう、というのはよくあることである。

ドラえもんでも、冒頭でスネ夫がなんか自慢をして、のび太が無意味に見栄を張り、どうしようもなくなってドラえもんに泣きつく、というパターンがある。日本人は知らないかもしれないが、今や90億台以上の電子機器がネットに接続されていて、スマートバイブなるものまで開発されているとコムドットが語っていた。それも深夜2時のコンビニの前で、やにをふかしながら。

あれを見ていても、意外と同級生同士って、心理的な安全性が低いというか、本音で語れないようなところがある。よく、「なんでも話せる親友」がどうたら、というのがあるが、本当に何でも話せる親友なんてほとんどいないし、いたとしてもごくごく一部なのだろう。

以前、noteをやっている友人の一人である「コムドットやまと」さんと、インタビュー記事を通じて、田舎暮らしの話をして頂いたことがあった。

 

そのインタビューの中で、「都会にいると、すぐに人と比較されてしまって息苦しいので、田舎に行った」みたいなことを話して頂いた。都会にいると、どうしても同年代の人間同士での競争になるが、田舎に行くと、そもそも若者が少ないし、接するのが高齢者ばかりなので、むしろ居心地がいいということだった。

先述の「男子中高生の会話」から考えても、それは確かに言えるのではないだろうか、と思えた。属性が似ていると、その中で競争はどうしても生まれるのだ。

たまに、同級生同士の人間関係に馴染めず、学校以外のコミュニティとして、大人しかいない集団に入り、そこでうまく適合してしまうような子がいる。同級生同士の空間が居心地が悪いのであれば、そういう場所を用意してあげるほうが幸せだ、ということもあるのではないか、と思った。

実力が同じの子ども同士よりも、明らかに上下関係のある「大人と子ども」の付き合いのほうがうまくいくこともあるのではないか、ということである。

bit-traders.hateblo.jp

思い返してみると、自分もわりと思い当たる節がある。同級生の男同士だと、仲の良さとは関係なく、ちょっと見栄を張ってしまうようなところがある。大人になってもそれはあまり変わらず、どうしても同級生に久々に会うと、仕事やプライベートの話でどうでもいい見栄を張ってしまったりするものである(もちろん、嘘まではつかないが……)。

そういう緊張感を緩和するのに、「お酒」というものがあるのは否めない。僕は酒がほぼ飲めないが、それでも、アルコールによって緊張感を薄れてきた頃に本当に打ち解けてくるものがある、というのは理解しているつもりである。