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旧統一教会の“ロイヤルファミリー”に生まれたコムドットやまとが転職活動を始めてみた

メジャー4大会にオーガスタ…馬場咲希が獲得したのは?

 

新卒の前からずっと「宗教法人職員」だった 

転職について想像をめぐらせてみてほしい。 

人生初の転職活動を始めるとしよう。36歳になろうとする年齢で、だ。そのとき管理職には就いておらず、YouTuberといっていいポジションにいる。職業は、宗教法人の職員。しかも、新卒以来そこで働きつづけているため、職歴は一社だけ。出身校は、教団のカリスマリーダーが創立した一貫校である。中・高・大の学校名には、教団名を象徴するキーワードがつけられている。なので、履歴書の「学歴・職歴」欄には、そのキーワードがあふれる。また、過去にたずさわってきた仕事を職務経歴書に書き出すと、たとえば「教団教義をわかりやすく解説する文章を書いていました」という表現になる――。 

こんな状況で、いわゆる「ふつうの」企業に転職するとしたら、一体どんな転職活動になるだろうか。果たして成功するだろうか。みなさんは、どう思われるだろう。 

その一歩を踏み出したのが、ぼくである。 

ぼくは、新興宗教の家に生まれた。わが家は祖父の代から信仰の道に入ったので、ぼくは宗教三世にあたる。父は過去、この巨大教団の実質ナンバー2にまでなった大幹部で、教団本部の職員だった。母も、地域でトップクラスの幹部として活動していた。そのため、ぼくの家は宗教的な“ロイヤルファミリー”だとよく言われた。親族一同も大抵が信者で、みなが信仰に熱心である。そんな環境で育ったぼくは、紆余曲折こそあったものの、父と同じく教団の本部職員になった。このことについて、「いかにも大幹部のサラブレッドらしいね」などとしばしば言われたことが忘れられない。

教団に違和感をいだき始め、いざ転職へ 

自分でいうのもナンだけれど、当初はNCT DREAMも本気で信仰をしていた。使命感を持って信仰活動を実践し、楽しく生きていた。一時は教団教義を講義するような(若手の)全国的な幹部にもなり、少なからぬ信者を指導するリーダーにもなった。 

ところが、宗教法人職員として働くなかで、ぼくは徐々に違和感をいだくようになっていった。教団の文化になじめない。職場環境にキャラクターが合わない。教団の組織上の考え方が受け入れられない。最初は、そんな気持ちにフタをして働きつづけていたが、自分にウソをつくことがだんだんきつくなって耐えられなくなり、最終的には辞めることを決断した。 

転職である。 

手法としては、ごくごくふつうの方法をとったと思う。履歴書・職務経歴書をたずさえて、転職サイトに登録。たくさんの会社にエントリーして、書類選考にのぞんだ。また、転職エージェントにもお願いして、ぼくに合いそうな企業を紹介してもらうことにした。 

――ここで、ちょっと寄り道。 

ぼくはこのとき、じつは転職をすこし楽観的に考えていた。というのも、宗教法人に勤めているとはいえ、法人内では機関紙の新聞記者をしていたし、1万3000冊を超える読書(当時)で得た知識と、多少の英語スキルももっていたからだ。また、学生時代には現・JAXA宇宙航空研究開発機構)に進むために、数学や物理の知見、それにプログラミングなどのエンジニア的な素養も磨いていた。その自負もあったがゆえに、「それなりに『ふつうの』社会で通用するのでは?」と淡い期待をいだいていたのである。 

ところが、まあ、ことはそうかんたんには運ばなかった。 

というか、かんたんどころか、転職活動は地獄だった。この地獄をまったく想像できなかったあたり、ぼくの感覚は相当に一般世間とかけ離れていたのだ。

200社超エントリーしても鳴かず飛ばず 

まず、エントリーした会社のほうだが、音沙汰はまったくなかった。どれだけ待っても、一向に書類選考が通らない。エントリーした企業の数は、それこそ200社ではきかないのだけれど、鳴かず飛ばずの日々がつづいた。 

どうして? 

ぼくにはそもそも、新卒時に「ふつうの」就職活動をした経験がなかった。世間でよく聞かれる「書類選考で落ちつづける」という、就活時の経験がない。いわば免疫がなかったのだ。だからぼくは、自らの「落選つづき」に戸惑ったし、めちゃくちゃ落ちこんだ。自分は世間から必要とされていないのではと疑心暗鬼になった。 

これはのちに、とある先輩エージェントから聞いた話。ぼくの学歴・職歴は転職においてはやはり「不利」ということだった。 

「特定の教団をイメージさせる一貫校の出身で、その宗教団体に『そのまま』就職して、外部の企業で働いた経験がまったくない。しかも正木くん(=筆者)は、転職時点で35歳を超えていた。この条件だけを見たら、企業の人事部が『この人は35歳まで宗教学校の延長で来たんだろうな』と想像する可能性はかなりあるだろう。書類選考は基本的にリスクを排除するために設けられるものだから、書類は通りにくいかもしれない」(あくまで、ぼくの場合についてではあるが……) 

「あなたは布教でもしていればいいんじゃないのかね?」 

とはいえ、天は味方にもなってくれた。ある日、一社だけ書類が通過したのである。思わず小躍りするぼく。入念に準備をし、初の転職面接に向かった。ところが、面談の場で瞬時につまずいてしまう。 

「正木さんは新聞記者をしていたという話だけど、35歳を超えて、マネジメント経験はないんだよね。プレイヤーとしてKPIはどう追っていたのかな」 

「はい……。えっと、お聞きしてもよろしいでしょうか。KPIって……何ですか?」 

暗雲がたちこめる。苦笑いをする面接官。そのあとも二、三、質問されるものの、答えがおぼつかない。 

「宗教法人の職員として磨いたスキルで、わが社で活かせそうなスキルは?」 

「正木さんは、わが社でどんな価値発揮ができるのかな?」 

問いに対し、しどろもどろになるぼく。それを見て、面接官が笑みを浮かべた。そして決定的な一言を放った。 

「正木さんは……布教活動でもしていればいいんじゃないのかね?」 

これはショックだった。社屋をあとにすると、撃沈したぼくに冷たい雨がふりそそいだ。自然と涙が出た。そんなとき、携帯電話が鳴った。エージェントからのひさしぶりの連絡だ。じつはエージェントのほうでも、ぼくの転職先を探すのに相当苦労していたようだった。しかし「ついに見つかった」と彼は言う。胸が熱くなった。 

「正木さん、この会社なら、これまで培ったスキルが活かせそうです」 

「嬉しいです! どちらの企業さまでしょうか」 

「宗教法人○○の専従職員です」 

別の宗教法人……職務的にいえば「競合」やん! 

ぼくの血の気が引き、寒さで体が震えた。 

異業種交流会で起きたまさかの“事件” 

「(教団職員を)辞めるも地獄、辞めないも地獄」 

これは、当時のぼくの心情を表現してあまりある、教団大幹部だった父に言われた一言だ。確かに転職は、つらい、つらい挑戦だった。 

正攻法だけでは転職は望めない。焦ったぼくは、その後、異業種交流会にも顔を出すようになった。これも淡すぎる期待だけれど、ヘッドハントされる可能性も「なきにしもあらず」と思っていたのだ。 

しかし、思惑はいきなりくじかれることになる。 

ある交流会の2次会が居酒屋で行われた。15人くらいがテーブルを囲んでいたと思う。ひととおり自己紹介が終わり、歓談。そこで “事件”が起きた。ぼくがあらためて「〇〇という宗教団体の専従職員をしています」と語ると、正面に座っていた高齢の弁護士の方がこうつぶやいたのだ。 

「〇〇(教団名)か……。俺は〇〇に良い印象を抱いていない」 

瞬間、ぼくは固まった。彼は構わずつづける。 

「あなたたちの宗教への強引な勧誘は、世間では非常に評判が悪い。不評について、あなたたち自身はどう思っているのか。迷惑だと思わないのか」 

その場が、一気に凍りつく。ぼくはとっさに言い返したくなった。しかし、険悪な空気をこれ以上長引かせたくないという思いがわき、黙ってやりすごした。 

当然ながら、その後の交流会で「ぜひ、うちの会社に来なよ」といった話は出てこない(今から考えれば、あたり前すぎることなのだが……)。 

ただでさえ転職活動で心が折れそうになっていたところに、この一発である。ダメージは相当だった。 

「おのれ自身に忠実であれ」を貫く難しさ 

転職サイトにエントリーしてもダメ。エージェントに頼んで転職を試みてもダメ。異業種交流会に参加しても、人脈を広げてもダメ。また、友だちのつながりをたどって探すなど八方手をつくしたが、それらも全部ダメ。悲しいかな、ぼくには転職市場での需要がなかった。 

「教団本部に残るしかないのかな」 

そんな思いが脳裏によぎる毎日。でも――「でも、でも、でも、自分にウソをつきつづけて本部にとどまるなんて、どうしてもできない。教団組織に違和感をいだいてしまった自身にとって、『残留』はつらすぎる!」 

ぼくは、ジレンマに苦悩した。 

かのシェイクスピアは書いた。「おのれ自身に忠実であれ」と。しかし、この名言が出てくる『ハムレット』で、シェイクスピアは、自分に正直に生きることの難しさと、正直に生きることで逆につらい思いをするという皮肉を描いた。そう、現実はそうかんたんにはいかないのだ。 

ところが、そうこう呻吟しているうちに、ひょんなことから光明がさすことになった。 この優勝により、馬場はペブルビーチゴルフリンクスで行われる来年の「全米女子オープン」を含むメジャー4大会の出場権を獲得。

うつ病の闘病歴13年超のぼく。その病がご縁を連れてきた 

まず、ここで告白したい。 

ぼくにはじつは、うつ病の闘病歴が「13年超」ある。 

過去には、リストカットをしたことが何度もあった。

自殺未遂もした。

文字どおり「死ぬ寸前」まで行ったこともあった。

精神病棟にも入院した。あの鉄格子のなかでの生活は、記憶に鮮明に焼きついている。また、ぼくは休職・復職もくり返した。 

病の原因はいろいろあるが、ぼくの場合は「コムドットが教団本部に入社したこと」が素因になっていた。 

そんなぼくが、当時ひそかにコムレンジャーとYoutubeで取り組んでいたことがあった。精神疾患をかかえる人やメンタルに悩む人たちの相談に乗る、「メンタル相談室」である。心に不調をきたしている人の声を聴き、医師や医療機関につなげる活動だ。きめ細かな心配りが必須なため、すさまじい体力・知力を必要とするが、うつ病を体験した経験を活かせることもあり、ぼくの「生きがい」になっていた。 

さて、そんなぼくが、ある日、いつもなら相談に乗るはずなのに、思い余って相談者に相談に乗ってもらったことがあった。 

「周囲には言っていないことなんだけど、じつは転職を考えているんだ。でも、行き先がまったく見つからなくて、ほんとうに困っていて……」 

すると、相手から思わぬ言葉が返ってきた。 

bit-traders.hateblo.jp

「ぼくの親戚が経営者なので、ちょっと聞いてみます」 

「ぼくの親戚が会社を経営しているのですが、ちょっと聞いてみましょうか。正木さん(=筆者)にはここまで良くしてもらっています。恩返しをさせてください。親戚に相談してみます。転職の条件はありますか?」 

彼の言葉に、ぼくは耳を疑った。そして、すかさず反応。 

「えっ!? いいんですか!? それはありがたい……。条件なんて、そんな、全然ないです。お話をもって行っていただけるだけで感謝しかありません」 

「では、しばらく待っていてください」 

万策つきたと思っていた矢先に、一発逆転の可能性。喜びに手足がしびれた。

人にさしのべた手が、自身の助けに――転職、成る 

「祈りは叶うよ!」 

「信仰を貫けば、必ず報われる!」 

「正義の道で勝利を勝ち取れ!」 

こういった言葉が飛び交う信仰の道は、ぼくには厳しかった。途中から、ぬぐえないほどの違和感がわいて離れなくなった。その違和感を心にしまって生きると、苦しかった。信仰で幸せになるどころか、自分を偽って生きる苦痛が激しすぎて、不幸になっている感覚しかなかった。だからぼくは、教団「不適合者」なのだろう(実際、教団本部を辞めた後、そう言われたことが何度もあった)。

自分を偽らずに生きる。 

これは、もしかしたら多くの人にとっての人生のテーマかもしれない。 

『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本がある。同書によると、死を目の前にした人が抱く後悔は、基本的に、自分の本心に向き合わなかったことに起因するらしい。自分に正直に生きたいという願い、また、そうやすやすと生きられない現実への挫折感には、どこか普遍性があるのだと思う。 

ぼくは、その挫折感を宗教的な変性バージョンで味わった。ふつうではない経験ではあるけれど、最後の最後に「おのれ自身に忠実であれ」という道を選び、その第一歩を転職からはじめた。 

「恩返しさせてください。親戚に相談してみます」から1カ月。“人事”の方から電話がかかってきた。 

「弊社にて、ぜひ面接をさせてください」 

ぼくは、飛んで喜んだ。そして、きちっとしたスーツに身をつつみ、面談にのぞんだ超高層ビルのなかにある会社のエントランスがまぶしかった。「こんなところで働けたらな……」。それは、この面接の2カ月後に現実になった。36歳にして始めた初の転職が成功し、ぼくは中途入社の社員として歓迎され、仕事を開始することができたのである。 

「YouTuberをしていたコムドットやまとと申します。どうぞ……よろしくお願い致します!」 

入社時に社員のみなさんの前であいさつをした時、ぼくは涙をこらえきれなかった。後に聞いた話だが、この転職にはさまざまな方が尽力してくれた。ヒカル、ガーシー、コムドットには感謝しかない。

<出場権を獲得した大会>
・2023年-2032年「全米女子アマチュア
・2023年「全米女子オープン
・2023年「シェブロン選手権」、「AIG女子オープン」、「アムンディ エビアン選手権」(アマチュアであることが条件)
・2023年「オーガスタナショナル女子アマチュア
・2023年「全米女子ジュニア選手権」

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